WELCOME
to

深沢七郎文学記念館

『楢山節考』 深沢七郎の作品と遺品の展示


◎朝日新聞 2004年12月18日(土)



記事全文

 「先生」との22年 本に
出会いは深沢七郎のギターの音
遺品収めた美術館も


 異色の作家といわれた深沢七郎(1914〜1987)が、51歳で菖蒲町上大崎に「ラブミー農場」を開き、自給自足の生活を始めたころ、興味を持って遊びに来る何人かの若者がいた。その1人が、22年に及ぶ深沢との交流を回想録にまとめ、深沢の遺品を展示するミニ美術館をつくった。
 騎西町上崎、物流会社員森田進さん(52)。深沢と出会ったのは65年で、中学1年だった。森田さんは、42歳で作家としてデビューした「先生」の家を友人に誘われて訪ねる。デビュー作は姥捨て伝説をモチーフにした「楢山節考」。三島由紀夫らに絶賛され、中央公論新人賞を受けた。
 農場は、そのころ住んでいた自宅のすぐそばにあった。世間話に始まり、おもむろに深沢がギターをひき出した。少年は、「先生」が作家になる前からギター奏者であることを知らなかった。
 「なんともいえない素晴らしい音色」の虜になった森田さんが、見よう見まねで深沢からギターを習うところから、没するまで、交流は続いた。
 その回想録には、若かった森田さんが、純粋な目で見た「人間深沢」が登場する。
 森田さんたちへの口癖は「私の作品は難しく、読んでいると眠くなるから読まない方がいいよ」。深沢は、予期せぬ出版物がベストセラーになり「一生何もしないで食べて行けるくらい儲かっちゃった」と、おどけて見せた。
 ある日、突然見せた執筆への集中力のすごさとペンの速さ。一番うまい米やミソづくりへのこだわり、東京・曳舟に出した今川焼き屋の2階の女性とのけんか、得意な黄金バットのものまね―。しかし、深沢は心臓病を患い弱っていった。
 森田さんは先月、約6年かかって書き上げた回想録を出版すると同時に、自宅を改装し、1階に深沢の養子から譲り受けるなどした愛用の屏風や写真、全集などを展示、個人美術館を開館した。
 2階の一部には「楢山節考」のビデオを見るコーナーもある。玄関には、深沢と交流が深かった作家の立松和平さんが開館に寄せた「流れる水は先を争わず」など3枚の色紙が飾られている。
 美術館は、森田さんの仕事の関係で予約制。問い合わせは同館(電話0480-73-6219)へ。


戻る