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まんがで読む 八王子歴史物語 第2巻

まんがで読む 八王子歴史物語 第2巻

八王子の歴史博士になれちゃう郷土史漫画!

「ぼくたちの町・八王子、わたしたちの町・八王子はどうやってできたんだろう?」八王子市民なら誰もが一度は考える素朴な疑問……。本書はそんなクエスチョンに漫画で答えてくれる、これまでありそうでなかった郷土本です。舞台は江戸時代後期から幕末にかけての江戸、そして八王子。八王子周辺で相次いだ擾乱や苦境に立たされる八王子千人同心の姿、八王子が生んだ傑物・松本斗機蔵と最上徳内の関係、黒船来航がもたらした維新の風……。八王子という町はこんなにも文化と歴史に彩られた素晴らしい故郷だったのだと再認識させられます。子供から大人まで、可愛らしいキャラクターと一緒に八王子の歴史ロマンに旅立てる郷土史漫画第2巻、待ちに待った登場です。
第1巻はこちら 『まんがで読む 八王子歴史物語 第1巻』

八王子歴史物語の歴史案内役(ヒストリカルガイド)

ハタガミちゃん

ハタガミちゃん
八王子生まれの「機織り神」のお姫さま。一人前の神様になれるよう、八王子の歴史を猛勉強中。食いしんぼで、良く遅刻することも…。

ガイドブッ君

ガイドブッ君
ハタガミちゃんのサポート役。八王子の歴史に詳しい歴史博士。ハタガミちゃんにいつも振り回されている。

桑じい

桑じい
ハタガミちゃんのお守役のおじいさん。ハタガミちゃんが立派な「機織り神」になれる日を夢見て、成長を見守っている。

クラマくん

クラマくん
高尾山の天狗神の王子さま。郷土の歴史を一生懸命勉強している努力家。空を飛べる。

新藤恵久監修・松田 純漫画
揺籃社 発行
A5判 216ページ 付・解説文
定価1,000円+税
ISBN978-4-89708-350-6 C0021

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まんがで読む 八王子歴史物語 第1巻

まんがで読む 八王子歴史物語 第1巻

八王子の成り立ちや歴史を分かりやすくひもとく郷土史漫画!

「ぼくたちの町・八王子、わたしたちの町・八王子はどうやってできたんだろう?」八王子市民なら誰もが一度は考える素朴な疑問……。本書はそんなクエスチョンに漫画で答えてくれる、これまでありそうでなかった郷土本です。北条氏照による八王子城築城のいきさつ、八王子千人同心の文武にわたる活躍、八王子の成立に大きな役割を果たした大久保長安、蝦夷地の開拓に乗り出した千人同心たち……。八王子という町はこんなにも文化と歴史に彩られた素晴らしい故郷だったのだと再認識させられます。子供から大人まで、可愛らしいキャラクターと一緒に八王子の歴史ロマンに旅立てる郷土史漫画、ここに誕生です。
第2巻はこちら 『まんがで読む 八王子歴史物語 第2巻』

八王子歴史物語の歴史案内役(ヒストリカルガイド)

ハタガミちゃん

ハタガミちゃん
八王子生まれの「機織り神」のお姫さま。一人前の神様になれるよう、八王子の歴史を猛勉強中。食いしんぼで、良く遅刻することも…。

ガイドブッ君

ガイドブッ君
ハタガミちゃんのサポート役。八王子の歴史に詳しい歴史博士。ハタガミちゃんにいつも振り回されている。

桑じい

桑じい
ハタガミちゃんのお守役のおじいさん。ハタガミちゃんが立派な「機織り神」になれる日を夢見て、成長を見守っている。

新藤先生

新藤先生
八王子の歴史を分かりやすく教えてくれる郷土史の先生。ご先祖さまは「千人同心」でもある。

新藤恵久監修・松田 純漫画
揺籃社 発行
A5判 208ページ 付・解説文
定価900円+税
ISBN978-4-89708-288-2 C0021

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新聞各紙で紹介されました

漫画で八王子の歩み 歯科医と漫画家が出版

ニュータウンや多くの大学を抱え、新住民が目立つ八王子市。新たに住み始めた人たちに、まちの成り立ちや歴史を知ってもらおうと、市内の歯科医と漫画家が協力して「まんがで読む 八王子歴史物語1巻」を出版した。年内に第2巻を出す予定で「10巻までは目指したい」と意気込んでいる。

ストーリーは、機織り神のお姫様「ハタガミちゃん」がガイド役になって一緒に歴史を学んでいくスタイル。1巻は、八王子のまちができた戦国~江戸時代が中心だ。
監修したのは、市内で歯科医院を開いている新藤恵久さん(82)。新藤さんは江戸時代にまちづくりを担った「八王子千人同心」の子孫で、仕事の傍ら55年前から郷土資料を集め始めた。
1985~99年までは市郷土資料館運営協議会の会長も務めた郷土史の研究家だ。これまでも八王子の歴史に関する本を出してきたが、「知人からは『文章が硬い』と不評だった」。どうせ書くなら読まれるものを、と漫画仕立てを考えた。
02年、歯科の材料を扱う業者に構想を話すと、「知り合いに漫画家がいる」と、前年にデビューしたばかりの漫画家、松田純さん(33)を紹介された。松田さんは都立大(現・首都大学東京)で歴史学を専攻していた。「歴史漫画に挑戦するいい機会」と新藤さんの誘いを快諾、年の差50歳のコンビが誕生した。主な文章は新藤さん、絵とストーリー風にまとめる作業は松田さんが担当した。
ほぼ完成した03年、ある出版社に原稿を持ち込んだが、「手がけたことがないジャンルで危険を冒せない」と断られたという。しかし、2人はあきらめず、構成を改め、資料研究もし直した。その結果、「八王子千人同心」のルーツが、戦国最強といわれた甲斐の武田騎馬隊の中でも精鋭の「赤備え」と呼ばれる集団だったことが新たにわかった。リニューアルした原稿を携え、昨夏、地元の揺籃社に相談、出版が決まった。
2人は「新しく八王子に住んだ人に、特に親子で一緒に読んでもらいたい」と話す。不登校の生徒を対象に学科指導や体験学習を行っている「八王子クラッセアッレバーレ」は6月からテキストとして活用する予定だ。(以下略)

(2010年4月10日付朝日新聞多摩版より抜粋)

マンガで学ぶ八王子の歴史「千人同心」子孫・新藤さん原案

八王子市の成り立ちや歴史をマンガでわかりやすく紹介した「八王子歴史物語」(揺籃社)が出版された。江戸時代の郷士集団「八王子千人同心」の子孫で同市横山町に住む新藤恵久さん(82)が原案を考え、市内の漫画家、松田純さん(33)が絵を描いた。2人は「この本が郷土の歴史に関心を持ち、愛着を感じるきっかけになればうれしい」と話している。

歯科医師の新藤さんは仕事の傍ら、30歳代の頃から郷土の歴史の調査などにかかわるようになった。同市郷土資料館運営協議会会長を務めたほか、現在は八王子千人同心旧交会の会長を務めている。
新藤さんは自分で調べた郷土の歴史について同会の会報誌などに文章を寄せていたが、反応が悪かった。6年ほど前、知人から「マンガにしたらもっと読まれるのでは」とアドバイスを受け、松田さんを紹介された。
松田さんは漫画家デビューして間もない頃で、大学で歴史を専攻していたこともあり、歴史マンガの執筆に賛同した。一緒に八王子城跡や滝山城跡、市守神社などを見て回るようになった。出版の話は昨夏にあり、それまで書きためたものに新作を書き加えた。
本は、「北条氏照と八王子城」や「八王子千人同心のはじまり」「大久保長安と八王子」など、七つの物語から成り立っている。各物語の後には解説文が添えられている。また、漢字にはルビが振られ、小中学生でも気軽に読めるようになっている。(以下略)

(2010年4月14日付読売新聞多摩版より抜粋)

まんがで読む 八王子歴史物語 発売

八王子の歴史を漫画でわかりやすく楽しむことが出来る本「八王子歴史物語」の一巻が先月発売になりました。
八王子歴史物語は郷土史家の新藤恵久さんが小学生を中心に子供たちに地元の歴史を楽しく学んでもらおうと漫画で本を出版したものです。
漫画の主人公は八王子生まれで見習い中の機織りの神様「ハタガミちゃん」。彼女が八王子の街を巡りながら歴史を学んでいくというストーリーになっています。
今回出版された第一巻は現在も史跡として元八王子にのこる八王子城が築城された背景や甲斐の国を治めていた武田信玄の騎馬軍団の流れをくむ千人同心がなぜ、八王子や日光東照宮を守ることになったのかといった7つの話しをわかりやすく描かれています。
作画を担当した市内在住の漫画家・松田純さんは膨大にある難しい資料をいかに単純化し、読者により身近に八王子の歴史を感じてもらえる構成を心がけたそうです。
また、巻末には補足として写真や資料なども記載し、より詳しく学べるよう工夫されています。
そして現在、第二巻の製作に取り掛かっている新藤さんは沢山の子供たちにこの本を読んでもらい、郷土愛を育んでもらえることを期待しています。
この「まんがで読む八王子歴史物語」は市内の書店で購入することが出来ますので、興味を持った方は一読してみてはいかがでしょうか。

(八王子テレメディア2010年4月2日配信)

長安さまのまちづくり
―八王子のまちをつくった大久保長安―

長安さまのまちづくり

子ども向け絵本!

なんと面白い絵本でしょう!民衆に慕われ、民衆とともに生きた大久保長安の物語が、とても興味深く描かれています。(推薦=法政大学大学院教授・馬場憲一)

とんとんむかし
ずーっとむかし、八王子には、長安と呼ばれる人がおった。その人は、大久保石見守長安という立派な名前の代官さんじゃった。その大久保長安公の、おはなしのはじまりじゃ。

長安さまのまちづくり

大久保長安とは?
戦国末期から江戸時代初期、日本全国で活躍した天下の総代官。金山・銀山の開発と経営、各地での検地や町づくり、治水対策、一里塚や街道・脇往還の整備など、幅広い分野で卓越した手腕を発揮しました。2013年は没後400年に当たります。
長安を簡単に知りたい方は、長安研究入門編 村上直ほか著『大久保長安に迫る―徳川家康の天下を支えた総代官―』をどうぞ。
さらに詳しく知りたい方は、長安研究の決定版 村上直著『論集 代官頭大久保長安の研究』をどうぞ。
大久保長安のブログページは こちら

長安さまのまちづくり―八王子のまちをつくった大久保長安―
吉田美江・文、長野美穂・画
A4判、28ページ、フルカラー
定価1,800円+税
ISBN978-4-89708-346-9 C8739 ¥1,800E

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八王子城今昔物語絵図

八王子城今昔物語絵図

これが、八王子城。

八王子城が、丸見えだ。

戦国武将・北条氏照の居城にして日本百名城のひとつ、八王子城。スケールの大きさに加えて、各所に施された緻密な戦略的構築が注目を集め、近年、登城者が増えている中世の山城です。そんな八王子城にほれ込んだ著者による今昔マップが堂々完成!A1サイズの大型マップに探索ルート案内が添付され、さらにB3両面の詳細な解説しおりも用意。多くの謎に包まれた名城が、いまそのベールを脱ぎます。これが、八王子城です。
前川實氏の主著 『決戦! 八王子城―直江兼続の見た名城の最期と北条氏照―』もどうぞ。

八王子城今昔物語絵図
前川 實 作図
A1判、両面フルカラー
B3解説しおり付、コースガイド付
定価700円+税
ISBN978-4-89708-342-1 C0421

八王子城今昔物語絵図

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新聞各紙で紹介されました

八王子の今と昔 絵図に 郷土史家30年の研究 集大成

国史跡「八王子城跡」の遺構調査を続けている八王子市の郷土史家・前川實さんが、研究成果をまとめた「八王子城今昔物語絵図」(A1判両面フルカラー、税別700円)を、同市の出版社「揺籃社」から刊行した。30年以上続けた研究の集大成で、戦国大名・北条氏の領国内で最大級の規模を誇った山城の威容をしのばせてくれる。
絵図は、東西約7キロ、南北約4キロに及ぶ範囲で、前川さんが実際に確認した遺構を、ペンと色鉛筆でイラスト化した鳥瞰図。絵図の表面は現在の様子、裏面は戦国時代の想像図となっている。
八王子城は、戦国時代末期、北条氏照が築いた山城。1590年(天正18年)に豊臣秀吉の軍勢によって攻め落とされ、廃城となった。絵図では、城主・氏照の館だったとされる御主殿跡や、本丸跡を中心に描写。さらに、守備兵を置くために平らに削られた曲輪(くるわ)、敵兵の移動を妨げるための堀なども、詳細に描いている。
前川さんは会社員だった1983年、八王子市内で開かれた八王子城に関する展示会を見学して関心を持ち、研究を開始。以来、山中に分け入って城の形跡を探しては、2500分の1の地形図に現況を書き込んできた。
遺構は、土砂崩れなどで失われたり、形が変わったりする可能性もある。このため、「自分が見たものを後世に伝えたい」と、地形図を基に絵図を作成することにしたという。
絵図には、B3判両面モノクロの解説しおりを添付。絵図としおりには、遺構の役割や城の造られた経緯、独自の見解を交えた解説文なども記載した。
前川さんは、「八王子城注目が集まり、2020年に東京五輪が開催される頃、多くの見学者が訪れる場所になっていればうれしい」と、話している。

(2014年9月30日付読売新聞多摩版より抜粋)

武蔵国多摩郡と由木の里の昔語り

武蔵国多摩郡と由木の里の昔語り

八王子由木地域 初の歴史書刊行!

八王子市のなかでも独自の歴史を保ってきた由木地域。由木に生まれ、由木で育ち、由木に人一倍の愛着を持つ著者が、長年の郷土史研究の成果を一冊にまとめた。先史時代から現代までの由木の変化が編年体で分かりやすくつづられている。由木地域の通史はこれが初。由木はもとより、八王子、多摩地域の歴史研究においても重要な位置を占める名著、ここに登場!

目次

一、多摩の横山
多摩丘陵/防人の妻の歌/向が岡

二、大栗川
由木の大川/川魚たちの記憶

三、歴史以前の多摩地方と由木の里
1、先史時代のはじまり
2、旧石器時代
人間生活のはじまり/発掘された由木の旧石器時代
3、縄文時代
六つの時代区分/草創期/多摩ニュータウン№72遺跡/松木台№107遺跡ほか
4、弥生時代
後期に普及した八王子の弥生文化/由木の弥生時代遺跡
5、古墳時代
大王の墓/古墳と東国/武蔵国造の乱/多摩地方の古墳/八王子の古墳時代/由木の里の古墳時代

四、古代の武蔵国多摩郡と由木の里
1、武蔵国多摩郡
武蔵国・多摩郡の誕生/武蔵守/武蔵国府/武蔵国分寺/多磨郡の二人の郡司
2、勅旨牧
古代の牧/小野牧/小野牧と横山氏/西党・日奉氏/横山党の消長
3、船木田荘
中山白山神社/藤原摂関家と船木田荘/東福寺領船木田荘/船木田荘の名前について
4、別所蓮生寺
頼朝安産の祈祷僧円浄房/別所/蓮生寺の仏たち/由木山蓮生寺談所/発掘された蓮生寺の古代
5、多摩ニュータウン計画が発掘した由木の里の古代
生活文化の発展/由木地域の古代集落

五、中世の多摩と由木の里に生きた人々
1、殿ヶ谷戸の昔語り
殿屋敷/二つの由木氏/大江・長井氏の支配/殿ヶ谷戸と大石氏/消えた光明院と住吉神社/疑われた古文書
2、戦国時代末期の大石氏とその群像
小田原北条氏にとりこまれる名族大石氏/大石道俊(定久)/大石綱周と二人の養子―氏照と秀信/氏照の妻・阿豊/碧山瑞泉禅師/大石家を継いだ定仲と二人の男子/二人の大石信濃守/多摩ニュータウン計画が発掘した大石信濃守屋敷
3、戦国時代の由木氏と観智国師
戦国時代の由木氏/由木氏の本領没収/別の由木氏の伝承/いま一人の由木左衛門尉/観智国師存応
4、土着の豪族小田野氏
先住の地頭/後北条氏に仕えた小田野氏/「藤原朝臣」小田野氏/松木氏と小田野氏/小田野氏が遺した由木の文化財/討死した小領主の書状

六、由木の里のむかし・点描
1、板碑と石塔―石が語る由木のむかし
板碑/宝篋印塔/堀之内・阿弥陀堂周辺の石造物/酒飲み地蔵の昔話
2、発掘された古銭
3、鮎の道

七、由木のむかしから現代へ
1、「由木」の名について
2、由木領と現代への推移
由木領/一枚の小田家古文書/南多摩郡由木村から八王子市へ
3、由木の寺社の消長
お堂と鎮守さま/消えた寺社と守られた寺社


略年表
あとがき
索引
カバー絵「由木の里と大栗川」(橋本豊治著『観智國師絵巻』より)

まえがき

いまや人口五六万をこえて東京都下第一の規模を誇る八王子市の、その東南部に横たわる多摩丘陵の山間に、古い歴史を秘めた由木の里はあります。それは古くは東国の中の武蔵国、その中の多摩郡、その中の由木の里という位置づけにありました。そのようなつながりの中で、この里の昔には実際にどのような歴史があったのだろうか、どのような人々がここに住み、どのように生きてきたのだろうか。今のうちにこの里の昔の記憶を掘り起こして書きとめておかないと、歴史はますます遠くに消え去ってしまうのではなかろうか……。そのような素朴な疑問と焦りから出発して、ようやく太古から四〇〇年前の戦国時代までを中心とする、武蔵国多摩郡と由木の里の昔語りをまとめたのがこの本です。
由木の地域は昭和三九年(一九六四)八月一日に八王子市と合併するまで、東京都南多摩郡由木村という、独立した地方自治体でした。由木村が発足したのは、市町村制が施行された明治二二年(一八八九)のことで、それ以前の江戸時代から武蔵国多摩郡由木領の郷村として、それぞれ独立していた鑓水・中山・上柚木・下柚木・(南)大沢・越野・別所・松木・堀之内・(東)中野・大塚の一一か村が、明治維新後の廃藩置県(明治四年・一八七一)と南多摩郡の発足(同一一年・一八七八)を経て、この年四月に合併して由木村となったものです。この地域が由木村として一体的に自立していたのは、明治・大正・昭和三代にわたる七五年間のことになります。
つまり、この地域の姿が歴史上にはっきりした形を示してくるのは江戸時代以降のことで、幕府が領内各村の田畑やその生産高を調査した記録や、その末期に編集された地誌『新編武蔵風土記稿』などの文献によって、かなりくわしくその実態を知ることができます。一方それ以前のことになると、例えば平安時代末期に中山白山神社の地に法華経を埋経した船木田荘の天台僧や豪族のいたこと、同時期に源頼朝の護持僧が東下りして別所蓮生寺を開創したこと、さらにその前後から中世にかけて土着した武蔵武士団の由木氏があり、その中から江戸時代初期に徳川家康に重用された浄土宗の名僧観智国師を出したこと、また武蔵国の守護代もつとめた大石氏の一族が館を構えていたこと、などの事蹟が断片的に知られていました。しかしさらに時代をさかのぼれば、文献上に「由木」の名前すら発見することはできず、私どもの郷里についてはより大きな地域である多摩郡や、さらに武蔵国というレベルで、その古代の姿を想定するほかはありません。
それでも、日本列島に人が住みはじめた数万年前の旧石器時代から、この地域には縄文・弥生・古墳・古代・中世・近世へとほぼ連続する、ぼう大な住民の生活と文化の跡が遺されていたことが、一九六六年から四〇年間にわたって行われた多摩ニュータウン造成工事にともなう遺跡発掘調査の結果、明らかにされています。同時に、多摩ニュータウン計画をはじめとする大規模な造成工事は、対象区域の自然環境と村落社会の姿を全面的に改変し、かつての緑豊かな農村風景は「ニュータウン」という人工的な街区に姿を変えました。そして発掘された遺跡・遺構のほとんども、調査の後には造成工事によって破壊されて先人の残した原形を失ってしまったのです。
いま、かつての由木の里の古来の姿を想起することは、一部の地区を除いてほとんど不可能なことで、わずかな古代・中世の遺跡と、江戸時代に幕府の直轄領・旗本領として分割支配された二六五年間に形作られた旧村々の鎭守社・寺院・石造遺物などが、この地域の昔を今に伝えています。それらは現在でも、この地域の人々のくらしと心の世界に直接かかわっている文化遺産ですが、それらのそもそもの来歴や古来の信仰の心は、全体として現在の住民の記憶から日々に遠くなっているのではないでしょうか。
著者は昭和七年(一九三二)に由木村越野地区の農家に生まれ、太平洋戦争の前後から今までの地域の発展と変貌を目にしてきましたが、最近とみに身近な先輩や友人が亡くなったり、新しい住区ができて来住する人々が増えたりで、昔から続くこの地域の一体性は急速に失われていくように感じられます。それは不便な僻地と考えられていたこの地域の新しい発展の結果でもありますが、その中でもすくなくとも、その昔にこの地に生きた先人達の歴史的な事蹟だけは、できるだけ客観的に発掘・再確認して、それを記録にとどめておくことが今こそ必要ではないかという気持を強くしています。とくに、この地域の人口は八王子市合併の約五〇年前から現在までに一八倍に増え、一個の独立市に相当する一一万人強の住民がこの由木の里に定住しているのが実状です。そのような地域の激変の中にあってこそ、古くからの住民はいうまでもなく、新しく移り住んだ人々にも同様に、みずからの住むこの里の古来の歴史を知ることは意味のあることといえましょう。
個人として著者にできることはまことにささやかなものですが、ともかく微力をつくして由木の里の古来の記憶を、東国の中の武蔵国、武蔵国の中の多摩郡、多摩郡の中の八王子から由木の里という視点でしぼりこみ、はるかな原始古代から一六世紀の戦国時代までを中心に、江戸時代の点描と現代への接続を結びとして、ようやく一冊の本にまとめることができました。それは史料のとぼしいこのテーマについて苦闘する一〇余年の作業でしたが、その間には、不明の事項について思いがけず重要な情報がふと目の前に現れたりして、「神は細部に宿る」という思いをうけたこともしばしばでした。結果として著者個人としては、これまで深い霧につつまれて姿の見えなかったこの里の昔の姿が、余期以上にほの見えてきたと実感しています。今後はさらに心ある方々の力によって、江戸時代以降の身近な話題もふくめて、誰にも納得できる郷土の歴史書を育て上げて頂きたいものと念願しております。
末筆ながら、これまでの日本史・考古学・郷土史研究者の方方の研究成果から多くを学ばせて頂いたことに深く感謝いたします。同時に、船木田荘・長隆寺・蓮生寺、由木氏と観智国師、大石氏と二人の信濃守・北条氏照の妻阿豊、小田野氏と由木の地侍たち等々の事項については、著者としていくつかの独自の見解を示していますので、ひろく武蔵・多摩地方史の専門家の御批判を頂ければ幸いと思います。

武蔵国多摩郡と由木の里の昔語り
石井義長著
四六判、428ページ
定価2,000円+税
ISBN978-4-89708-330-8 C0021 2000E

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新聞各紙で紹介されました

由木の里の郷土本 自費出版

八王子市越野の石井義長さん(80)が、生まれ育った旧由木村地域(現八王子市)の歴史を「武蔵国多摩郡と由木の里の昔語り」にまとめ、自費出版した。話しかけるような読みやすい文体でつづっており、郷土史研究の入り口として役立ちそうな1冊だ。
同地域は、南大沢などの一角が多摩ニュータウンとして開発されるなど、高度成長期以後、急激に発展。農村から新興住宅地へ変貌した。石井さんは「新しく見える土地柄だが、旧石器時代からの歴史がある。過去と現在のつながりを実感できる本を残したい」と、10年以上前から本書の構想を温めてきた。
本書では、旧石器時代から戦国時代を中心に、同地域の人物や寺院、時代状況などを紹介。記述の根拠を示すよう、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」などの歴史資料やニュータウン開発に伴う発掘調査報告書、先行する研究論文などを探して引用した。
石井さんが研究手法を本格的に学んだのは、60歳を過ぎてから。江戸時代から続く農家に生まれ、人文系の学問に興味を持っていたが、生活のために断念。東大法学部を経て、NHKに入局し、ラジオやテレビの教養番組を作った。
定年退職後に念願をかなえ、東洋大学大学院で平安時代の僧空也を研究し、博士号(文学)を取得した。これまでに「阿弥陀聖 空也」(講談社)などを出版した。
石井さんは「好きなことができる喜びをかみしめて取り組んできたこの本が、新旧の住民が一緒に新しい地域社会を作る一助になればうれしい」と話す。

(2013年10月12日付読売新聞多摩版より抜粋)

戦国の城は民衆の危機を救った
―関東王国の平和を求めた八王子城主北条氏照―

戦国の城は民衆の危機を救った

戦国の城はいかにして民衆の危機を救ったのか

戦国の世は毎日が合戦だったわけではない。民衆の暮らしや営みがあり、領主はそれを保障する存在だった。民衆は領主に庇護を求め、領主はその期待に応えて初めて徴税が可能だった。持ちつ持たれつだったのである。また戦国の城は、有事の際に民衆の保護施設としても機能していた。
民衆と領主の関係から読み解かれる、全く新しい戦国の城の姿がここに。
著者の好評既刊もあわせてどうぞ。
『よみがえる滝山城―戦国の風雲をかけぬけた天下の名城―』
『滝山城戦国絵図―中世城郭のからくり―』
ISBN978-4-89708-336-0 C0021 1500E
「NPO滝山城跡群・自然と歴史を守る会」のホームページは こちら

戦国の城は民衆の危機を救った

日本図書館協会選定図書!!

はじめに
序章 戦国の村と城
第1章 城と信仰
第2章 城と池
第3章 城と避難場所
第4章 城と惣構
第5章 北条氏照の戦国
第6章 北条領国の崩壊へ
第7章 戦国八王子の城
終章 鉄砲戦の城へ
おわりに

はじめに

『戦国の城は民衆の危機を救った』は、東京都八王子市に拠点を構えていた小田原北条氏の二男、北条氏照が居城した八王子城や滝山城を始め、八王子市内に残る中世の軍事施設を題材として述べたものである。
織田信長が足利15代将軍義昭を擁して、はじめて天下の鎮静化に向けた闘争を繰り広げるまでは、どの大名も地域での絶対的に安定した地域国家建設を望んでいた。そのため、大名は地域優先型の価値観によって常に行動しており、そこに住む民衆の声を無視しては大名権力として成り立たなかった。城も同じことで、民衆の安全に関わる対策を施さなければ、乱世の中で安定した地域国家建設などありえなかった。そういった意味からすると、一地域の戦国大名北条氏照の城と民衆についてのテーマは、全国の大名にも共通するということになる。
城は支配権力者による象徴という捉え方だけではなく、一方で戦時下にあっては領民の命と財産を守るために避難場所を用意し、一般に向けて開かれた公的な場としての施設を提供する役目も備えていた。つまり、支配権力者の城は「私的空間」であるとともに、民衆に対して配慮された「公的空間」という相対する二つの異なる性質の空間が併存していた。こうした城の景観に民衆側の視線をあててみると、それは領主の危機管理意識に基づいた表現として映る。つまり、戦時下という非日常的な緊急事態が発生した場合、領主は城の内部を開放し、民衆に対して公共的避難場所を提供するという責任があった。
領主と民衆との在地支配の根底には徴税関係が横たわり、これが両者の間で対立関係を生み出す要因になっていた。この問題を克服するためには、領主は民衆側に立った対策が欠かせなかった。領主はそうした民衆の生活を安全に保護するような活動に努め、一方では何とか徴税関係を安定的に維持しようとしていた。ここに領主と民衆との間でギブ・アンド・テイクの考え方が出てくる。第一章から第四章までの内容は、以上述べたように、民衆が危機に陥ったとき、あるいはそうしたことを予測して、領主が取り組んだ様々な危機管理に基づく対策であり、城の神社仏閣、池の存在、避難場所、惣構、城下町など、城の景観を通して検討してみた。
第五章の中では、北条氏照の多摩地方支配から始まり、やがて勢力を拡大していく過程を眺めてみた。氏照は市内恩方の浄福寺城から始まり、永禄10年ごろまでには加住の滝山城に移る。この間、越後の上杉謙信や甲斐の武田信玄の侵攻を受けたので、その時の様子も述べた。
また、第六章では氏照は再び滝山城から八王子城に拠点を移す。その背景には天正10年に甲斐の国を領有化した徳川家康との政治関係もあったが、やがて豊臣秀吉の全国統一に向けた動きに警戒し、着々と領国内の臨戦態勢を整えていった。
また、小田原北条氏は最後まで秀吉に屈服しようとしなかった。その背景には、当時、東北の雄・伊達政宗との共同作戦があったようだ。そして最終的には沼田問題(領土問題)を引き起こし、民衆を合戦へ導くことになる。結局、小田原北条氏が求めていたものは天下ではなく、関東王国という限られた範囲での地域国家の建設だった。秀吉の「惣無事之儀」と北条氏の地域国家としての「国」の概念を対比しながら、北条氏が求めていた関東王国建設崩壊への道筋を述べた。
第七章は、八王子市内に現存している中世城郭の紹介である。ただ、この中では「峠」や「切通し」も含めた。峠をなぜ取り上げたかというと、城と峠は街道によってつながり、本来一体化したものであり、決して切り離しては考えられない存在だった。また、峠は領国の境目にあり、戦略上無視することができなかった。幸いにして案下道の和田峠(案下峠)、甲州道の小仏峠(中峠も含む)、川越街道の杉山峠が現存しており、当時の貴重な峠の様子を伝えている。
また、当時の街道は尾根を分断して街道を通す「切通し」が掘られていた。それが案下道沿いの「宮尾要害」と甲州道沿いの「木下沢要害」である。この二カ所は浄福寺城や八王子城に付属する番所(役所)と考えられ、切通しだけにとどまらず、尾根上に曲輪(城の平場)を兼ね備えた防備施設になっていた。要害という意味は、険しい地形で、敵の攻撃や味方の防衛に適した地形のことをいう。本書では切通しと周辺の地形を含めて「要害」という言葉を用いた。
以上、城郭に限らず、峠・切通しという三種類の軍事施設を個々に取り上げて紹介した。
東京都内でも八王子市内は最も多くの中世城郭遺構を残している。そうした重要性から、遺構の現況概略図を作り、開発が進む八王子市内にあって、今後の保存と知的財産が活用できる環境作りを期待した。
平成25年11月吉日

戦国の城は民衆の危機を救った―関東王国の平和を求めた八王子城主北条氏照―
中田正光著
「NPO滝山城跡群・自然と歴史を守る会発行
四六判、208頁
定価1,500円+税
ISBN978-4-89708-336-0 C0021

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大久保長安に迫る
―徳川家康の天下を支えた総代官―

大久保長安に迫る

没後400年 よみがえった長安を知る、格好の入門書!

没後400年を迎え、多くの注目を集めている大久保長安。武田信玄に仕えたのち、江戸幕府草創期の徳川家康を支え、民政や経済など、日本各地でさまざまな業績を残しました。本書は各地域の長安研究の第一人者がその実像に迫った、長安入門にもってこいのコンパクトな1冊です。

大久保長安とは?
戦国末期から江戸時代初期、日本全国で活躍した天下の総代官。金山・銀山の開発と経営、各地での検地や町づくり、治水対策、一里塚や街道・脇往還の整備など、幅広い分野で卓越した手腕を発揮しました。2013年は没後400年に当たります。
さらに詳しく知りたい方は、長安研究の決定版 村上直著『論集 代官頭大久保長安の研究』をどうぞ。
子ども向けなら、長安絵本 吉田美江・長野美穂共著『長安さまのまちづくり―八王子のまちをつくった大久保長安―』をどうぞ。
大久保長安のブログページは こちら

大久保長安に迫る

目次

出版に当たって … 大久保長安の会
大久保長安の全国的活躍 … 法政大学名誉教授 村上 直
大久保長安の多摩での活躍 … 法政大学大学院教授 馬場憲一
石見銀山における大久保長安の業績とその影響 … 石見銀山資料館館長 仲野義文
大久保長安と佐渡 … 佐渡を世界遺産にする会 濱野 浩
大久保長安の大和での活動 … 奈良県立図書情報館 大宮守友
大久保長安400年記念シンポジウム式次第

出版に当たって

大久保長安は徳川幕府の礎をつくり、近世の扉を開いた人物です。
全く新しい経営方法、採掘方法、製錬方法で、石見・佐渡・伊豆から多量の金銀を採掘。木曽や伊那からはおびただしい量の木材を伐り出し、城郭、邸宅、まちづくりに貢献しました。これは鉱山ともども幕府の財政基盤となりました。また、石灰を運ぶために青梅街道を、材木運搬のために中山道を整備。一里塚を設けて、運搬に必要な人馬を揃える伝馬制を定めました。道路だけでなく、京の保津川、甲斐に発する富士川を船が通れるよう開削し、物資や人の輸送を迅速化しました。佐渡の金の運搬のために巨大な船の建造にも着手しています。必要に応じて新たに町もつくり、同時に産業振興にも抜かりはありませんでした。たとえば、奈良(大和)の晒を専売制としています。それにより奈良の人の9割が晒の仕事に携わるようになったと、奈良奉行の記録にあるほどです。戦乱で衰退していた美濃の鵜飼を保護し、今日の盛況につなげたりもしています。文化的な側面でも大いに貢献しています。故郷の大和から猿楽師を佐渡につれてゆき、能の大興隆をもたらしました。伊豆では地元の人たちが、長安が伝えたとされる三番叟を今日も誇らしく舞っています。さらに、人びとに寄り添った政治を行いました。大和では不作であれば年貢を減免しています。また、信濃では種籾にかける利息を下げ、越後や信濃では耕作地を数年ごとにくじ引きで取り換え、農民たちが不平等にならないよう取り計らいました。
戦国時代末期、家康の命令で八王子に入り、豊臣勢の治める甲斐から江戸を守るために八王子の軍事拠点化とまちづくりに着手します。西の守りのため千人同心を組織、お十夜で有名な大善寺や極楽寺を八王子城下から移転して北の守りとしました。また多くの寺を集めて寺町をつくり、南の備えとしています。氾濫の多かった南浅川を曲げて土手を築き、町を水害から守ると同時に、浅川の河川敷に新たな町を切り拓いて、新開地の真ん中に甲州道を通しました。
このように長安は、いままで行われていない手法を新しい発想で考案し、「江戸」という新たな時代をつくり上げていきました。この精神をより多くの人びと、とりわけ若い世代に本書を通じて知っていただき、自分自身の未来を切り拓く手本としてもらえれば幸いです。
2013年11月吉日
大久保長安の会

大久保長安に迫る―徳川家康の天下を支えた総代官―
・共著
法政大学名誉教授 村上 直
法政大学大学院教授 馬場憲一
石見銀山資料館館長 仲野義文
佐渡を世界遺産にする会 濱野 浩
奈良県立図書情報館 大宮守友
A5判、64頁+カラーグラビア16頁
定価900円+税
ISBN978-4-89708-333-9 C0021

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新聞各紙で紹介されました

大久保長安、知名度アップ

八王子市の街の基礎を築いた江戸幕府の代官頭、大久保長安(1545~1613年)の没後400年を記念し、業績を一般向けに紹介する取り組みが続いている。長安の名は市民に少しずつ浸透しており、研究者は手応えを感じている。
市郷土資料館では24日まで、長安の全国的な業績や多摩地域との関わりを紹介する特別展を開催中だ。徳川家康の代官として発給した古文書などの歴史資料や、写真パネル計40点余りが並ぶ。
後の「千人同心」につながる武士団「小人頭衆」に宛てた文禄2年(1593年)の文書では、年貢を徴収できる土地を従来の中野郷(八王子市)から、上総国(千葉県)に替えており、八王子周辺の直轄化を進めようとした家康の意図や、代官としての長安の役割がうかがえる。
展示では、市内の「大久保塚」の調査結果も紹介。長安の子が埋葬されたと言われるが、内部から、その20年以上後の貨幣「寛永通宝」が発掘されるなど、伝承が史実でない可能性が高まっているという。紺野英二学芸員は「長安ゆかりの遺跡について検証が不十分」と課題も指摘する。入場無料。
揺籃社(八王子市)からは今月、初心者向けの小冊子「大久保長安に迫る」が出版された。法政大の村上直名誉教授や石見銀山資料館(島根)の仲野義文館長ら5人が、鉱山開発や都市計画など、全国で長安が残した業績について論じている。A5判64ページ、税別900円。
長安を巡っては、市民グループ「大久保長安の会」が講演会や街歩きなどを通じて顕彰を行っている。従来、長安は市民に知られておらず、死後、不正蓄財の罪で一族が滅ぼされたことから、悪いイメージが持たれているとされてきたからだ。
だが、法政大の馬場憲一教授(日本近世史)のゼミ生が今夏、長安の陣屋があったとされる同市小門町周辺で行った聞き取り調査によると、回答した市民約100人のうち、4人に1人が大久保長安を「聞いたことがある」と答え、そのうち6割以上が「良い」印象を持っていると答えた。
馬場教授は「長安は想像していたよりも多くの方に知られている。没後400年に関連して様々な取り組みが行われている影響が大きいのでは」とみている。

(2013年11月19日付読売新聞多摩版より抜粋)

論集 代官頭大久保長安の研究

論集 代官頭大久保長安の研究
論集 代官頭大久保長安の研究

没後400年 いまよみがえる大久保長安

2012年度第17回日本自費出版文化賞研究評論部門賞受賞!

日本近世史研究の泰斗である村上直法政大学名誉教授によってつづられた名論文15篇を一挙集成。謎多き傑物・大久保長安の真実がいま明かされる。私たちはついに本物の長安に出会う。

大久保長安とは?
戦国末期から江戸時代初期、日本全国で活躍した天下の総代官。金山・銀山の開発と経営、各地での検地や町づくり、治水対策、一里塚や街道・脇往還の整備など、幅広い分野で卓越した手腕を発揮しました。2013年は没後400年に当たります。
まず長安を簡単に知りたい方は、長安研究入門編 村上直ほか著『大久保長安に迫る―徳川家康の天下を支えた総代官―』をどうぞ。
子ども向けなら、長安絵本 吉田美江・長野美穂共著『長安さまのまちづくり―八王子のまちをつくった大久保長安―』をどうぞ。
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目次

序にかえて 村上 直
Ⅰ 大久保長安の出自と甲斐
武田蔵前衆について
大久保石見守長安と猿楽衆
大久保石見守長安と甲斐
関東と甲斐国の連帯性 ―大久保長安の支配領域に関連して―
Ⅱ 大久保長安の在地支配と初期幕政
後北条氏から徳川氏へ ―多摩地域を中心に―
初期関東における代官陣屋について
江戸時代初期の代官 ―特に伊奈・大久保・彦坂を中心に―
幕府創業期における奉行衆 ―大久保石見守を中心に
初期幕府政治の動向 ―大久保石見守長安事件を中心に―
Ⅲ 大久保長安と石見銀山の支配
近世初期における石見銀山の支配 ―大久保石見守長安を中心に―
近世初期石見銀山の支配と経営 ―大久保石見守長安時代を中心に―
Ⅳ 大久保長安と佐渡鉱山の支配
近世初期佐渡鉱山の支配について ―特に大久保石見守長安を中心に―
近世初期佐渡鉱山の支配形態
Ⅴ 大久保長安の実績と人物考
大久保石見守長安の研究覚書
幕府権力と大久保長安
あとがき 馬場 憲一

序にかえて

日本近世史の研究は、戦前は政治史が中心であったが、戦後は地域社会が重要なテーマになったといってよい。私が研究に取り組むようになった昭和三十年代のはじめの頃は、社会経済史を中心に、農村史や地方史が盛況であると共に、幕藩体制のもとで幕府の権力構造や藩制の地域的特質を究明していく動向がみられた。こうしたなかで幕府領や郡代・代官の研究が注目されるようになったと思う。そして、当時、甲斐(山梨県)の農村調査や戦国大名武田氏の家臣団の近世への推移を調べていくなかで、大久保長安について関心をもつようになったのである。
戦国大名の領国支配において、武功派の著名な武将とは別に、内政や渉外に当たった文治派の家臣に注目するようになった。つまり領内の地域開発や民政を担当する、地方巧者の性格をもつ代官についてである。武田氏が滅亡後、甲斐国へ入国した徳川氏が、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五か国領有時代を展開していくなかで、有能な代官衆を登用していく。天正十八年(一五九〇)八月、関東入国に当たっては、灌漑・治水や耕地開拓、交通路、渓口集落や宿駅の整備、鉱山開発を中心に領国支配を推進するが、その場合、代官頭や配下の代官、手代の活躍が重要な役割を果たすのである。これは戦乱の時代から安定政権への移行である。
本書の大久保長安の論集については、徳川家康の関東入国に当たり注目されていたのが、伊奈忠次、大久保長安、彦坂元正らを中心とする代官頭や配下の代官・手代の動向で、私は甲斐の研究から大久保長安に着目し、江戸幕府創業期に当たり、その事績を幕府政治のなかで限られた史料であるが、実証的に明らかにしてみようと思ったのである。
長安は甲斐武田氏の猿楽衆大蔵大夫の次男に生まれ、はじめ藤十郎、のち十兵衛と称し、やがて士分に取り立てられた。武田氏滅亡後も徳川家の家臣となり、蔵前衆(代官)として活躍し、大久保忠隣より大久保の姓を授けられ、奉行並みに抜擢されたのである。
関東領国の支配に当たり、代官頭は入国当初から家康の側近グループの一翼となり、知行割や治水・検地の実施に主導的役割を果たしたが、その地域支配の拠点となったのは陣屋支配であった。大久保長安の屋敷は、江戸及び駿府の城下にあったが、最も枢要な地域拠点は、甲斐との国境に近い、江戸近郊の十二里に位置する武蔵国多摩郡八王子(横山)の陣屋であった。この八王子の小門陣屋は、戦国時代に小田原北条氏の支城であった滝山・八王子城の周辺に位置している。行動範囲の広い大久保長安は、小門陣屋に定住していたわけではないが、やがて武田氏の旧家臣を中心に八王子代官(関東十八代官)と千人頭(千人同心)を指揮し、関東領国における拠点としたのである。
関ヶ原の戦後、江戸幕府が開設すると、慶長八年(一六〇三)には従五位下石見守に叙任され、代官頭、奉行衆、年寄として、幕政にも参画するようになった。特に大御所家康(駿府)と将軍秀忠(江戸)の二元政治が展開すると、長安は駿府年寄衆の一員として重要な役割を果たすことになった。長安は家康の側近であり、その信頼に応える能力があったから、いわば出頭人として特異な存在を示しており、松平忠輝(家康の六男)の付家老も務めている。その支配領域は広大であり、小門陣屋周辺の山の根九万石をはじめ、関東から甲斐・信濃・越後・美濃・駿河・伊豆・大和・近江・石見など、約百二十万石に及んだといわれ、国奉行を兼ねることもあったのである。各地の出先機関の陣屋には、代官、手代、多くの地役人が駐在したが、長安自ら各地を巡視し、直接指揮するか、書状によって指示していたことも明らかにされている。特に石見、佐渡、伊豆の金・銀山の開発と経営には大きな成果をあげ、幕府財政の拡充に努めている。また、各地の町づくり、一里塚や街道、脇往還の整備、さらに江戸・駿府・名古屋などの築城、普請などに卓越した手腕を発揮し、幕府の政治基盤の確立をはかっている。
大久保長安は慶長十八年(一六一三)四月に駿府において没している。生前、このような事績を残しながら、死後において、突如、金銀隠匿、政権奪取の陰謀が発覚したという理由によって、遺子七名が死罪、一族ならびに縁故ある大名、家臣も処罰されている。その真相は明確ではないが、長安の資産や豊かな支配領域に対して危惧した、幕府上層部の年寄衆の権力争いの結果とみることができるのである。私はこのような、大久保長安の生涯と死後の数奇な運命を考察するに当たって、江戸幕府の長期安定政権が成立する以前、創業期における主要な人物や大名の改易や転封が行われた、歴史の推移を重視したいと思っている。
本書の刊行に当たっては、今は亡き恩師の北島正元先生ならびに所三男先生(元徳川林政史研究所所長)の学恩に感謝申し上げる。また、長年にわたり研究を共にしてきた馬場憲一氏には、収録論文の選択を含めて多大の協力をお願いいたし、さらに校正など多くの手数をわずらわせた揺籃社の山﨑領太郎氏に対しても、厚く謝意を表する次第である。
二〇一三年二月 村 上 直

論集 代官頭大久保長安の研究
村上 直 著(編者・馬場憲一)
A5判、448ページ
定価2,800円+税
ISBN978-4-89708-326-1 C0021

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武相近代史論集
―八王子・津久井を中心に―

武相近代史論集

武蔵と相模はいかにして近世を脱し近代を形成していったのか?

2012年度第16回日本自費出版文化賞地域文化部門賞受賞!

現在の東京都南多摩地域と神奈川県相模原市周辺は、かつて武蔵・相模と呼ばれていました。日本が江戸幕府による封建的な政治・社会体制から明治の近代化へと脱皮する変革の時期に、武相地域ではどんな変化が起こっていたのでしょうか?
武相の地、八王子と津久井を生活の場としている著者は、この地域の近代史に60年の長きにわたって取り組んできました。本書はその成果の一端をまとめ上げたもの。全編に武相の地域史の基本事項が凝縮されています。私たちの生活に根付いている文化や歴史を本書で確認してみましょう。知らなかったこと、ほらそこに。

☆おもな内容☆

第1章 幕末・維新期の多摩
「幕末多摩の維新への道」「維新の千人同心」など
第2章 キリスト教の展開
「明治前期におけるギリシャ正教受難史」「外国人遊歩地域と八王子」など
第3章 自由民権運動と困民党事件
「自由民権期の八王子」「多摩北部困民党」など
第4章 養蚕・製糸・織物の発展
「八王子駅生糸改会社」「八王子・明治大正製糸業の変遷」
「津久井織物小史」など
第5章 多摩の文化の源流
「幕末・明治多摩の名医たち」「詩人八木重吉とその周辺」
「八王子車人形事始め」など
武相近代史年表付

沼 謙吉 著
A5判、472ページ
定価2,400円+税

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高尾山の花名さがし
―増補改訂版

高尾山の花名さがし
高尾山の花名さがし

花のあふれる高尾山へ再びようこそ!
便利な百“花”事典がボリュームアップ!

登山の楽しみのひとつは、四季折々の草花との思いがけない出会い。でもせっかく出会ってはみたものの名前も特徴も全然分からないなんてことありませんか?
そんなときに便利なのが本書です。標高599メートルの低山でありながら、温帯系、暖帯系の植物の宝庫である高尾山。そこに咲き誇る、里の花、木の花、外来種などを含む約420種の花たちを春夏秋冬で分類し、写真とコメントで丁寧に紹介しています。コンパクトなポケット判だから携行にも重宝します。
2009年の出版後、多くの登山者に支持されて高尾山ハイクの必需品になった前作を大幅改訂。季節ごとに何度も登りたくなること間違いなし!
高尾山新書シリーズ第2弾『高尾山おもしろ百科』は こちら

高尾山の花名さがし隊 編
遠藤 進・佐藤美知男 共著
新書判 64ページフルカラー
メモ帳32ページ付
定価952円+税

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電子書籍版あります!

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古道 古甲州道 古富士道

古道 古甲州道 古富士道

古道歩きは石仏のオリエンテーリング
古道歩きで、高鳴る鼓動!

生活道だった「古甲州道」、信仰道だった「古富士道」。それぞれの路傍に時代を越えて佇んでいる石仏たち……。民俗信仰の象徴ともいえる「道祖神」「庚申塔」「地蔵様」は、いにしえの人々と私たちの心をつなぐ大切な地域遺産であり、道しるべです。詳細な地図と豊富な写真によって「古道歩き」という新しい愉しみを提供する本書。新たな旅のお供に是非どうぞ。

★古甲州道

府中(大國魂神社)~石田の渡し・万願寺の渡し~日野~小宮~滝山~戸吹~根小屋~御前石峠~高尾~戸倉~荷田子~檜原本宿~時坂~浅間峠~数馬~鞘口峠~金風呂~余沢~白沢~田元~牛の寝~大菩薩峠~裂石~小田原~粟生野~塩山~山梨~地蔵の渡し~春日居~石和~酒折~甲府(武田神社)

★古富士道

大成~白沢~十文字峠~佐野峠~七保~畑倉~浅利~花咲~尾曽根峠~小形山~宝~加畑天神峠~夏狩天神峠~暮地~吉田(富士浅間神社)

著者・府川公広 監修・丸岡啓之
A5判 128ページ
定価952円+税
※帯に檜原温泉センター「数馬の湯」の割引券付き!
ISBN978-4-89708-323-0 C0026 952E

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とっておきの高尾山

とっておきの高尾山

高尾山ガイドブックの決定版!

関東随一の観光地であり、連日多くの観光客が訪れる高尾山。豊かな自然、そして伝統と歴史を誇るこの山の本当の魅力を伝えるガイドブックが遂に登場しました。
高尾山に登ったことのない初心者には分かりやすいガイドとして、いままでに何度も登ってきた方には新たな魅力を発見できる一冊として。高尾山を知り尽くした執筆陣が、名山に秘められた醍醐味を次々と披露します。
一家に一冊、〝とっておきの高尾山〟をあなたに!

とっておきの高尾山

目次

地質「1億年のタイムトラベル」小森長生氏
歴史「高尾山信仰の歴史」外山徹氏
民俗「ハイブリッドな庶民信仰」佐藤広氏
植物「貴重な植物相」菱山忠三郎氏
動物「高尾山は動物の宝庫」新井二郎氏
鳥「鳴き声で探す野鳥図鑑」粕谷和夫氏
碑「高尾山の文学碑巡り」縣敏夫氏
民話「菊地正の残した高尾の民話」吉田美江氏
登山ガイド「とっておきの高尾登山」編集部

揺籃社編
A5判、64ページ、フルカラー
A4折込地図付
定価700円+税

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高尾山おもしろ百科

高尾山おもしろ百科

めざせ、高尾山の三ツ星雑学博士!

★★★三つ星高尾山の三ツ星本★★★
高尾山のこと、どれだけ知っていますか?ミシュランで三つ星になり、大注目の高尾山。都心から近く、親しみやすい山だというだけではありません。脚光を浴びるにはやっぱりそれなりの理由があるのです。本書は高尾山にまつわる小話、秘話、こぼれ話をこれでもかと集めた百科事典。読み終わるころには、押しも押されぬ高尾山雑学博士になっていることでしょう。
この問題、分かるかな?
高尾山のケーブルカーは傾斜日本一?
日本中には40以上の高尾山がある?
小惑星「高尾天狗」という星がある?
高尾山にある4つの滝の名前は?
高尾山のビアガーデンは標高日本一?
答えはすべて本書の中にあります、挑戦してみよう!
高尾山新書シリーズ第1弾『高尾山の花名さがし』は こちら

高尾山の花名さがし隊 編
遠藤 進 著
新書判 80ページ
定価952円+税

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電子書籍もあります!

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市民の写真集 続 八王子の今昔
―いま見つめたい昭和の八王子―

市民の写真集 続 八王子の今昔

むかし なつかし 八王子!
わぁ、なつかしい!おもちゃ箱みたいだね!!

あの日の祭り、あの日の町かど、あの日の子どもたち……。市民の貴重な写真によってよみがえる“昭和”から届けられたモノクロームのメッセージ。待望の写真集第2弾!

収録写真数は500枚超!現在地写真で今昔対比!中心市街地はもちろん、恩方かた南大沢、小宮から高尾山まで、八王子のほぼすべての地域を網羅。撮影地マップと八王子年表に加え、読者がつくる「今昔写真帖」のページも用意しました。どんな八王子に出会えるか、開いてみてのお楽しみ!
★第1弾『市民の写真集 八王子の今昔 ―昭和の八王子を振り返る―』は こちら
★八王子駅ビルCELEO北館8F有隣堂書店での「八王子今昔写真展」は こちら

『市民の写真集 続 八王子の今昔 ―いま見つめたい昭和の八王子―』
●章立て 第1帳 ならわし、第2帳 なりわい、第3帳 くらし、第4帳 ふうけい、第5帳 こうつう
八王子の今昔刊行会 編
A4判 184ページ
定価1,800円+税

八王子空襲後
八王子広告祭
アボヘボの完成
ホッと一息
高倉大根
デパートの屋上観覧車
紙芝居屋さん
小犬と川遊び
水無瀬橋にて
高尾のユースホステル
お茶やの松
横山町郵便局
ボンネットバス
高速道路と富士山
八王子駅北口

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新聞各紙で紹介されました

市民が撮った八王子 続編が出版550枚掲載

現在の八王子市域で、昭和期を中心に市民が撮影した写真を収めた写真集「続八王子の今昔」が、揺籃社(同市追分町)から出版された。
約550枚を5部に分けて掲載。「くらし」の部では、街頭で紙芝居を楽しむ子どもなど活気あふれる生活の模様、「なりわい」では、鎌を使った稲刈りや織物産業を支えた機織りなど伝統的な仕事の様子をとらえた写真を収録した。
関東大震災で倒壊した建物や、八王子空襲で焼失した八王子駅など、歴史的事件にまつわる貴重なものものもある。時代の変化で失われる街の風景を記録として残そうと、市職員などで組織する市職員等事業本部(元本郷町)と同社が刊行会を作り、立案。市民から写真を募って2008年に「八王子の今昔」にまとめたところ好評だったため、続編につながった。(以下略)

(2012年10月18日付読売新聞多摩版より抜粋)

有隣堂CELEO八王子店にて「八王子今昔写真展」開催!

CELEO八王子北館オープン記念!8F有隣堂書店にて「八王子今昔写真展」。
JR八王子駅にオープンした「CELEO八王子北館」。連日、たくさんの人が訪れています。その8Fに有隣堂書店CELEO八王子店があります。CELEOのオープンを記念して、店内にて「八王子今昔写真展」が開催されました(2012年10月20日~11月20日)。『市民の写真集 続 八王子の今昔』に掲載された写真がパネルで現在地と対比して展示されていました。大変な好評をいただきました。

街道を歩く 甲州街道

日本図書館協会選定図書

街道を歩く 甲州街道
街道を歩く 甲州街道

甲州街道を歩く!読んで楽しく、歩いて楽しい!
甲州街道ガイド歴10年の著者渾身の著、ここに完成!!

日本橋から信州下諏訪宿を結ぶ甲州街道。53里余、45宿32次を、今に残る史跡を巡りながら歴史が学べるガイドブックの決定版!

日本橋から信州下諏訪までの全行程、約53里余(210km)を結ぶ甲州街道。江戸時代には東海道や中山道と並ぶ五街道の1つとして、富士登山や身延参詣などに利用され、大いに賑っていました。ガイド歴10年の著者が書き上げた本書は、従来の甲州街道ガイドブックとは異なり、全ルートの詳細な地図と歴史的見所を1冊にまとめているのが特長です。さらに無理なく歩けるように全行程を20回に分け、宿場や今に残る史跡の数々を多くの写真とともに余すところなく紹介。歴史上のエピソードを絡めたコラムも掲載して、読み物としても面白く仕上がっています。江戸時代の旅人に思いを馳せて、甲州街道全ルートを歩くための本格的ガイドブック、遂に誕生!

大高利一郎著
A5判 238ページ(+口絵カラー4ページ)
定価1,800円+税

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新聞各紙で紹介されました

開けば甲州街道 城あり寺あり一里塚あり

日本橋から信州・下諏訪に至る53里余り(約210キロ)の甲州街道の見どころを案内する本が出版された。「街道を歩く 甲州街道」。行程の詳しい地図を載せ、宿場跡など沿道の史跡を紹介している。著者の歴史ガイド大高利一郎さん(75)=八王子市在住=は、「本を手に歩きながら、歴史を感じてもらえれば」と話している。
大高さんは元小中学校の教師。担当教科は数学だったが、退職後は趣味の山歩きを生かし、旅行会社の歴史ガイドに転じた。約10年間に何十回と甲州街道を歩き、今も残る道標や寺社などの様子を記録。今回、それらを基に本にした。
無理なく歩けるよう、全ルートを10キロ前後ごと20回に分けて紹介。いずれも起点と終点の最寄り駅を記している。
初回は「日本橋から内藤新宿」(約8キロ)。和田倉御門や桜田御門、井伊直弼(なおすけ)屋敷跡と、まず江戸城(皇居)沿いから。西に進んで徳川家ゆかりの西念寺や長善寺、さらに玉川上水記念碑などに触れた。
2回目以降は高井戸宿、府中宿、日野宿、八王子宿……などと続く。江戸の西側の警護拠点となった八王子では、江戸時代の「甲州道中分間延絵図(ぶんげんのべえず)」を基に、本陣の位置など当時の様子を再現した。
街道は必ずしも現在の国道20号に沿っておらず、途中には細く分かりにくい個所もある。地図では、迷わないよう交差点や店など要所に触れた。ツアーで参加者に配布した手書きの地図を基にした。
歴史上のエピソードを盛り込んだコラムや、一里塚や石碑など写真150枚以上を掲載。読むだけでも街道歩きの疑似体験ができる。一里塚のなかには現在、企業の敷地内にあるものも。「古いものが消えていくのは残念。よく残してくれた」と大高さん。
歩いていて気になるのは、商店街などの寂れ方だという。道を尋ねようにも店にシャッターが下り、道行く人が見当たらない状況もあった。「みなさんに甲州街道を歩いてもらい、街の活性化につながれば」と話している。

(2009年5月5日付朝日新聞多摩版より抜粋)

歴史ガイドがつづる甲州街道210km

東京都八王子市子安町の元中学校教諭、大高利一郎さん(75)が、甲州街道の魅力をまとめた「街道を歩く 甲州街道」(揺籃社)を出版した。
街道の全行程の詳細な地図と歴史的な見所をわかりやすく解説し、初心者にも無理なく歩けるような内容となっている。
大高さんは十数年前から旅行会社の歴史ガイドとして、旅行客らに名所、旧跡などの案内をしてきた。当初は日光街道を担当していたが、その後は甲州街道のガイドを務めるようになった。
甲州街道のツアーでは、日本橋から長野県・下諏訪まで甲州街道の全行程約210キロを、十数回かけて踏破するという企画を立て、約10年間にわたってツアーに同行した。
今回の本は、その際に配布したレジュメを基に、参加者の反応や感想などを参考にしながら、街道の魅力を1冊にまとめた。
全行程を20章にわけ、かつての宿場や現存する史跡の数々を写真とともに紹介。歴史上のエピソードなどを絡めたコラムも掲載している。
大高さんは「甲州街道の全行程を20回ほど歩いた。豊かな自然と歴史的遺物が数多く残され、本当にすばらしい。ぜひ、この本を参考にして、街道を歩いてもらいたい」と話している。

(2009年4月29日付読売新聞多摩版より抜粋)

つむぎ
―語り継ぎたい20世紀の記録―

年2回発行の合同自費出版シリーズ『つむぎ ─語り継ぎたい20世紀の記録』。本年3月で節目の10号となり、終刊を迎えました。その後、3月11日に東日本大震災が起りました。この震災は、私たちの生き方、考え方を一変させ、一人ひとりに真剣な未来の構築を問いつづけています。そこで、『つむぎ』シリーズの特別編を企画。みなさんからの原稿を募集して、来年3月11日の発行を目指します。震災を受けて庶民は何を思い、どう行動したのか、いま何をしようとしているのか、その生きた記録がまとめられればと願っています。奮ってご応募ください。

「つむぎ 特別編」募集要項

テーマ・原稿内容

「いま語りたい 東日本大震災のこと」
今般の震災を経験した方、震災を機に考えたこと・提言したいことのある方の原稿であれば、内容は問いません(代筆可)。あのとき何をしていたか、どう感じたか、あれから何をしたか、日々の生活や社会の在り様はどう変わったか、これからどうしたらよいのか、など。(他人を誹謗中傷したり、被災者の心を傷つける内容、極端に政治・宗教的なものは掲載をお断りする場合があります)

原稿枚数・入稿形式

400字詰原稿用紙5~10枚程度。写真は2枚まで。
手書き原稿かパソコンデータで入稿してください。データの場合は必ず出力原稿を添付してください。
Eメール( info@simizukobo.com)での入稿もOK。

料金

原稿用紙1枚(400字)につき1,000円をご負担ください。写真は1枚につき500円になります。 ◎編集・校正 当社で原稿整理・推敲を行います。その後で文章の確認を1回お願いします。

販売

寄稿者には2冊を進呈。3冊目以上は定価の20%引きでのご提供となります。
完成本は国会図書館や関連する地方の図書館に寄贈し、揺籃社より販売もいたします。

仕様

A5判、約200頁、定価1,000円(+税)の予定。

原稿〆切・発行予定日

☆原稿締切=2011年10月30日 ☆発行予定日=2012年3月11日

お問い合わせ

〒192-0056 東京都八王子市追分町10-4-101
電話 042-620-2626 FAX 042-620-2616
E-mail info@simizukobo.com お問い合わせページは こちらです。

収集した個人情報は、許可なく本文集制作の連絡やお知らせ以外の目的で使用いたしません。

つむぎ―語り継ぎたい20世紀の記録―

揺籃社では戦後60年の2005年、『戦後六十年―語り継ぎたいあの大戦』を公募原稿により発行いたしました。43名の方から原稿をいただき、A5判250ページをこえる貴重な記録集を出版することができました。
戦後の日本は驚異的な経済復興を遂げ、現在の繁栄を享受できるまでに発展してまいりました。しかし、21世紀は環境と平和の時代といって幕を開けたはずでしたが、生命の尊さが軽んじられる殺伐とした時代へと傾倒しているように思えてなりません。日本特有の自然環境や人間関係はどこへいってしまったのでしょう。あの戦後復興は何だったのでしょうか。激動の時代といわれた20世紀を懸命に生きた私たちが、得たもの、失ったものの大きさに思いをいたさなければなりません。これからこの国を背負って生きていく人たちに、そのことを伝えていくのも私たちの責任ではないかと、合同自費出版『つむぎ―語り継ぎたい20世紀の記録』を企画いたしました。タイトルの「つむぎ」は、大勢の人の体験を集めて1冊の本に紡いでいくイメージから名付けました。
この試みはこれからも続けていきたいと思います。そして、書くだけでなく語り合えるような場も企画してまいります。次世代に語り継ぎたい20世紀の体験談を是非お寄せください。

『つむぎ ― 語り継ぎたい20世紀の記録(1)』特集・仕事と家事
『つむぎ ― 語り継ぎたい20世紀の記録(2)』特集・食生活
『つむぎ ― 語り継ぎたい20世紀の記録(3)』特集・子どものころの遊び
『つむぎ ― 語り継ぎたい20世紀の記録(4)』特集・我が師
『つむぎ ― 語り継ぎたい20世紀の記録(5)』特集・忘れじの故郷
『つむぎ ― 語り継ぎたい20世紀の記録(6)』特集・我が学び舎よ、永遠に
『つむぎ ― 語り継ぎたい20世紀の記録(7)』特集・父よ、母よ
『つむぎ ― 語り継ぎたい20世紀の記録(8)』特集・私の名前
『つむぎ ― 語り継ぎたい20世紀の記録(9)』特集・旅は心、世は情け
『つむぎ ― 語り継ぎたい20世紀の記録(10)』特集・我が人生
合同文集 1,000円+税 揺籃社 A5判 130~160ページ

朝日新聞(2006年4月17日付け朝刊)にて紹介されました

21人が“私の20世紀” 八王子の出版社が合同文集

八王子の出版社「揺籃社」が合同文集「つむぎ―語り継ぎたい20世紀の記録(1)」(定価千円。税別)を出版した。執筆者は、同市をはじめ杉並区や中野区などに住む21人。大半が70~80代で、大正・昭和・平成と移り変わる中、貴重な体験談や思い出などが語られ、「自分史」としてまとめられている。

同社は昨年、戦後60年を機に、市民に戦争体験を語ってもらおうと、文集の刊行を企画。約40人の証言をまとめた「戦後60年 語り継ぎたいあの大戦」を出した。好評だったことから、「20世紀」に範囲を広げ、忘れられない体験談や心に残る思い出、そのときどきの心境などをつづった原稿を募集した。応募原稿は400字詰め原稿用紙10枚前後で、1枚につき千円を著者が負担するという合同自費出版の形をとった。
都内を中心に21人から原稿が寄せられた。自らの生い立ちや戦時中のつらい体験、仕事で海外に赴任した時の思い出、女性の社会進出など移り変わる時代への思い―がつづられている。21通りの自分史であり、庶民の暮らしの記録でもある。
揺籃社の清水英雄社長(66)は「タイトルの通り、貴重な市民の体験や人生の記録を紡ぐことができた」と語る。
同社は「つむぎ」の第2集を企画している。(以下略)

決戦!八王子城
直江兼続の見た名城の最期と北条氏照

決戦!八王子城
決戦!八王子城

いま明かされる落城のすべて…
八王子城合戦の真実に迫った力作!

天正18年(1590年)6月23日未明、北条氏照の居城・八王子城で一大合戦が繰り広げられました。豊臣秀吉の命を受けた、前田利家、真田幸村、上杉景勝、そして直江兼続ら、乱世に名を馳せた武将たちが、こぞって八王子城を攻め立てたのです。そこではどんな戦闘が繰り広げられたのでしょう?北条勢はいかに守り、豊臣勢はどのような戦略を立てたのでしょうか?本書では、今に伝わる多数の古文書をひもとき、語り継がれてきた民話に光を当て、現代まで保存された遺構群を徹底的に調査することで、八王子城合戦の真実に肉薄しています。また、城主氏照の素顔と、城攻めに参戦した因縁浅からぬ直江兼続の人生も紹介。戦国の世を駆け抜けた2人の武将が生き生きとよみがえります。巻末には城跡散策案内も付してあります。
全く新しい八王子城の魅力がここに!

前川 實 著
A5判 88ページ
定価700円+税

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新聞各紙で紹介されました

八王子城陥落の合戦紹介
地元郷土史家が冊子出版
直江兼続 参戦の可能性調べる

八王子城が陥落した八王子合戦をテーマにした小冊子が出版された。筆者は、八王子市狭間町の郷土史家、前川実さん(73)。八王子城は日本の名城100選に数えられているが、市民の関心はあまり高くない。前川さんは「この本を通じて、多くの市民に八王子城に興味を持ってもらえればうれしい」と話している。

前川さんは大学時代、ハイキングで八王子城跡を訪れ、その歴史の魅力にとりつかれた。卒業後、会社員の傍ら、八王子城の研究を続け、現在は「八王子城の謎を探る会」を主宰している。昨年暮れ、ある集会の場で、「直江兼続が八王子合戦に参戦している」との話を耳にし、合戦を詳しく調べてみようと思い立った。
古文書や民話などをひもとく一方、八王子城跡にも何度も足を運び、合戦がどう繰り広げられたかを調べた。さらに「小田原記」や「北条氏照軍記」などの古文書に記された合戦に関する記述がどの程度、信ぴょう性があるかを調べるため、国立天文台を訪ね、合戦のあった日の月の出や日の入りの時刻などを調べてもらった。
すると、古文書には豊臣勢全軍が月の出とともに攻撃に向けて出発した時刻が「亥の刻」(午後10時頃)と記述されており、国立天文台で得られた月の出のデータも午後10時48分で、古文書の記述とほぼ一致していた。
また、直江兼続が合戦に参戦したという確固たる証拠は得られなかったが、直江はあるじの上杉景勝と行動をともにしていたことや、兼続が合戦後に大名に出した書状などからほぼ間違いないとしている。
そこで、古文書の共通点を土台にして、22日午後10時頃の進軍から、翌23日未明から午後4時頃までの武将たちの動きを追った。合戦の様子を分かりやすくするため、前川さんが作成した八王子城の鳥瞰(ちょうかん)図や写真も掲載している。

八王子城合戦とは…
天正18年(1590年)6月23日、豊臣秀吉の関東制圧の一環として、前田利家、上杉景勝らが率いる数万人の軍勢が八王子城を攻めて陥落させた戦い。城主北条氏照ら精兵は小田原城にいて不在で、留守を預かっていた家臣や婦女子ら数千人の奮闘もむなしく、1日で落城した。

(2009年6月24日付読売新聞多摩版より抜粋)

八王子城陥落 解き明かす

16世紀、北条氏照の居城・八王子城がどのように豊臣勢に攻め落とされたか、戦いの様子に迫ったブックレット「決戦!八王子城」が出版された。著者は八王子市在住の郷土史家で、「八王子城の謎を探る会」主宰前川實さん(73)。
八王子城は1590(天正18)年、豊臣秀吉の命を受けた前田利家を総大将にした真田幸村、上杉景勝らの軍勢によって陥落した。
前川さんは、古い記録を読み解き、城跡の遺構群を調査。本書では自ら精密に描いた図や写真を使いながら、豊臣勢の戦略や攻撃ルートを刻々と追い、守る北条勢の戦いぶりも解き明かしている。
戦闘には、NHK大河ドラマで取り上げられている直江兼続も豊臣勢の一員として参加。同書では1章を割き、北条氏照との因縁に触れた。巻末には城跡周辺の散策のためコース案内を載せた。
前川さんは、会社員だった40歳ごろから八王子城を専門に調べてきた。「幻の八王子城」(かたくら書店)など複数の著書がある。「長年研究していると、城が可愛くなってくる。市民にもっと関心を持ってほしいし、本が観光など活性化の一助になれば」と話している。

(2009年6月19日付朝日新聞多摩版より抜粋)

日韓交流のさきがけ 浅川巧

日韓交流のさきがけ 浅川巧

永六輔さん推薦!

柳宗悦を知っている中学生がいたら脱帽したい。
柳宗悦を支えた浅川巧の評伝を書いた中学生がいるなんて信じられない。
この本は奇蹟だ!

●永さんがTBSラジオ「土曜ワイドラジオTOKYO」で、2005年の本ベスト1に選出!

全国学校図書館協議会選定図書に!

どこまでも己の信念に忠実で、広く大きな心で、韓国人の中へ飛び込んでいった浅川巧。韓国が「近くて近い国」になりつつある今、浅川巧の生き方が、改めて注目されています。日韓相互理解を願う人びと必読の書!

●本書は中学2年生の「自由研究」の成果である。渡韓し、浅川巧の軌跡を瑞々しい感性で追究・活写した本書は、21世紀の日韓友好に資するであろう。
(山梨英和中学校・高等学校教諭 米山宏史)

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日本自費出版文化賞に史上最年少入選した中学生の研究ノートが一冊の本に

近年、日本と韓国の交流はとても盛んになっています。両国の人々がそれまでの歴史的感情を乗り越えてお互いの文化を認め合い始めました。2002年のサッカーW杯の共催はその最たるものでしょう。一昔前まで韓国は「近くて遠い国」などと言われ、日本人の心の中にもどこか敬遠しがちな雰囲気がありました。しかし今では映画や音楽などのポップカルチャーを基盤として、多くの韓国文化が日本に流入し、さらに韓国人も日本の文化を多く受け容れています。ハングルを習う日本人、サッカーのJリーグで活躍する韓国人選手、韓国の俳優にときめく日本の女性たち、日本のロックグループに心酔する韓国の若者……。数年前には考えられなかったような変化が両国間で進行しています。
戦後50年以上を経て、やっとのことでこのような韓国人との心の交流を育み始めたわれわれ日本人。ところがこれと同じことを、日本による植民地支配下の朝鮮で既に実行していた一人の日本人がいました。埋もれていた韓国の民衆芸術に光を燈し、深刻な状況にあった韓国の禿山再生に尽力、日本の官憲に睨まれながら韓国文化の理解と顕彰に努め、韓国人を心から愛したその人物の名前は「浅川巧」。
本書は、浅川巧の一生と功績を様々なエピソードやインタビューから多角的に検証した、浅川巧研究の入門書です。本書のもととなった著者の中学2年生の時の自由研究『韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人』は、中学生の作品ながら、その深い洞察力と先進性を評価され、史上最年少の14歳で第6回日本自費出版文化賞(2003年度)に入選を果たしました。巧と出身地を同じくする著者は、その初々しい感性で浅川巧の人物像を浮き彫りにしていきます。
どこまでも己の信念に忠実で、どこまでも広く大きな心を持った浅川巧。韓国が地理的にも文化的にも「近くて近い国」になりつつある今、浅川巧の勇気ある行動はわれわれ日本人の模範像として鮮やかに浮かび上がってきます。

著者・椙村彩 発行・揺籃社
四六判 160ページ 1,050円(税込)

隅田川を遡る
―橋梁物語(はしものがたり)
Creative Book 首都圏人 No.10

隅田川を遡る

勝鬨橋から千住大橋までの13橋梁の空撮と両岸300年の歴史をひもとき、橋梁の構造を分かりやすく説明した新しいガイドブック

江戸時代には浮世絵の背景として、また明治になると小説の舞台となった隅田川。洪水や大火・戦火を乗り越え、両岸は整備されて散歩が楽しめるテラスもできた。絶え間なく建設される高層ビル群と相俟って、それぞれが個性をもった橋梁は、新しい景観美を形成しつつ人々に安らぎを与えている。
勝鬨・永代・清洲橋は国の重要文化財に指定されている。いずれも当時の最先端の技術を駆使して建設され、技術史上高い価値をもつ。
本書は隅田川を遡り、勝鬨橋から千住大橋にいたる十三橋梁の景観を空撮で楽しむ。また両岸の史跡を訪ね、江戸時代の「大川端」から現代の街角まで、三百年の歴史をひもとく物語である。大火、地震の災害、戦争の大きな傷跡が残る。本書ではこれらをも大きく包み込み、新旧多彩な写真を添えて隅田川の歴史を語る。橋梁の構造を分かりやすく説明した新しいガイドブック。

NPO市民フォーラム 著
ヒューマンクリエイティブ 発行
揺籃社 発売
新書判 240ページフルカラー
定価1,200円+税

高尾山と八王子城
―東京の名山・名城照

高尾山と八王子城

高尾山と八王子城をこよなく愛す研究者2人の共著

高尾山と八王子城跡は、大都市東京の西郊にある八王子にあります。
2007年、高尾山は富士山とならんでミシュランの三ツ星に選ばれ、年間300万人を超える訪問客で賑わっています。八王子城は、東京では江戸城とともに日本城郭協会の「日本100名城」に選定され、戦国時代をテーマにしたTVドラマの影響もあり、いまとても注目されています。
高尾山と八王子城を取り上げるテレビや雑誌の企画がずいぶん増えましたが、どれも観光的なものが多く、奥深い自然や文化・歴史を伝えきれていません。
また、高速道路の自動車専用トンネルが高尾山と八王子城を串刺しにしていることは、ほとんど知らされていません。
高尾山と八王子城をこよなく愛し、知りつくした2人の研究者が、名山・名城の奥深さと、その保全について読者の皆さんに熱く語ります。

椚 國男・吉山 寛 共著
高尾山の自然をまもる市民の会 発行
A5判 124ページフルカラー
付・高尾山と八王子城の概略図
定価800円+税

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新聞各紙で紹介されました

名山・名城掘り起こし
小冊子「高尾山と八王子城」を出版

高尾山の自然や八王子城の歴史を紹介する小冊子「東京の名山・名城 高尾山と八王子城」が地元・八王子市の「揺籃(ようらん)社」から出版された。著者は考古学研究者椚(くぬぎ)國男さん(83)と、植物研究者吉山寛さん(81)で、いずれも市内在住。数十年の研究成果が分かりやすくまとめられている。
2人は、ともに元高校教師。圏央道建設に反対する市民団体「高尾山の自然をまもる市民の会」に所属する。同会の会報に2007年4月から昨年3月まで1年ずつ連載した「八王子城あれこれガイド」「高尾山ものがたり」に加筆し、まとめた。入門書だが、多種多彩な記述で内容は濃い。
連載・出版を持ちかけたのは、「市民の会」事務局長の橋本良仁さん(64)。「八王子城と高尾山は観光的な側面が優先されがち。知られていない本当の素晴らしさを伝えたかった」という。
八王子城について執筆した椚さんは多摩考古学研究会の世話人。専門の古墳研究とともに、八王子城跡の調査・保存に努めてきた。
八王子城は北条氏照の居城。1590年に豊臣勢に落とされ、北条支配の終わりと秀吉の天下統一につながった。ここから椚さんは「戦国の終わりを告げた城」と、教科書ではまず触れられていない城の歴史的意義を強調する。小冊子では戦後、周辺の開発で城跡が破壊されたことや、保存に向けて立ち上がった研究者の存在も取り上げ、近くに資料館を建設する必要性を訴えている。
椚さんは八王子城跡の山を「ゆるやかに打ち寄せた波が隆起したような形」と形容する。四十数年間で850回以上登った。最近は足腰の衰えで遠ざかっていたが、昨年12月、2年ぶりに登り、その品格の魅力を改めて感じたという。
一方の吉山さんは、「八王子自然友の会」幹事や「高尾山自然保護実行委員会」代表などを務める。高尾山の樹木など自然の生き字引的な存在として知られている。戦後間もなく定時制高校の教師になり、昼は高尾山に観察に通うようになった。都心から1時間の場所で、面積770ヘクタールの山ながら植物1300種、昆虫5千種と自然の宝庫であり、「世界遺産に匹敵する」と話す。
なかでも注目してきたのはブナ。本来は冷涼地に分布するが、高尾山では約80本の大木が育つ。地球規模で気温が下がった江戸時代の一時期に生まれたもので、標高400メートル台では南限になるという。
代表的なブナには、特に親しみを込め、固有の名を付けた。ケーブルカー高尾山駅前にある「駅前ブナ」、最も太く、高尾山天狗(てんぐ)裁判で原告に名を連ねた「元禄ブナ」、樹皮が無傷で枯れ枝のない「美人ブナ」などだ。吉山さんは「いかに高尾山が素晴らしく、その自然を大切にしなければならないのか、知って欲しい」と強調している。(以下略)

(2010年2月4日付朝日新聞多摩版より抜粋)

自然、歴史 小冊子に

高尾山と八王子城の歴史や現状を分かりやすく解説した「東京の名山・名城 高尾山と八王子城」(揺籃社刊)が出版された。
八王子市在住の考古学研究家、椚國男さん(83)と植物研究家、吉山寛さん(81)が所属する市民団体「高尾山の自然をまもる市民の会」の会報誌に2007年4月から今年3月にかけて掲載された2人の文章をまとめたものだ。
椚さんは八王子城にこの45年間に850回以上登り、史跡の調査や保存に尽力してきた。小冊子では築城から落城までの概要や、遺跡から発掘された遺物や同市教委による調査結果などを記述している。
また、戦後の開発で遺跡が破壊されたことや、保存・保護のために立ち上がった人々を取り上げ、史跡近くに資料館建設の必要性を訴えている。
椚さんは「八王子城は戦国時代を代表する山城。多くの市民にもっと感心を持ってもらいたい」と話している。
一方、吉山さんは高尾山自然保護実行委員会の代表や八王子自然友の会幹事を務めるほか、高尾山自然観察の案内人として、高尾山の生き字引的な存在だ。
高尾山周辺はブナなどの温帯林とカシなどの暖帯林が接するなど、植物学上、非常に珍しい山だという。また、標高599メートル、面積約770ヘクタールの場所に植物が約1300種類、野鳥は約100種類、昆虫は約5000種類が棲息するなど、世界でも類を見ない自然の宝庫だと指摘している。
吉山さんは「豊かな自然の保全、保護の必要性を読み取ってもらえればうれしい」と話している。

(2009年11月7日付読売新聞多摩版より抜粋)

高尾山の花名さがし

高尾山の花名さがし

花のあふれる高尾山へようこそ!
ポケットサイズの便利な百“花”事典

登山の楽しみのひとつは、四季折々の草花との思いがけない出会い。でもせっかく出会ってはみたものの名前も特徴も全然分からないなんてことありませんか?
そんなときに便利なのが本書です。標高599メートルの低山でありながら、温帯系、暖帯系の植物の宝庫である高尾山。そこに咲き誇る、里の花、木の花、外来種などを含む約420種の花たちを春夏秋冬で分類し、写真とコメントで丁寧に紹介しています。コンパクトなポケット判だから携行にも便利。出会った花をチェックできるマーキング欄もあり、欄が埋まっていく喜びに何度も高尾山へ訪れたくなること請け合いです。
高尾山ハイキングの楽しみ方がまたひとつ増えました。
高尾山新書シリーズ第2弾『高尾山おもしろ百科』は こちら

高尾山の花名さがし隊 編
遠藤 進・佐藤美知男 共著
新書判 64ページフルカラー
メモ帳16ページ付
定価952円+税

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著者のホームページ

新聞各紙で紹介されました

高尾山の花は「お任せを」
420種、山仲間が自費出版

山好きな仲間が作った花の小図鑑「高尾山の花名さがし」が、11月3日に自費出版される。高尾の山に咲く花のうち、ポピュラーなものはほぼカバーする約420種の写真と名前、特徴を収めた。ポケットサイズでハイキングや山登りにも手軽に持ち運ぶことができる。
本を作ったグループ「高尾山の花名さがし隊」は、高山やその周辺でハイキングガイドやサポートをしている遠藤進さん(68)と佐藤美知男さん(64)が中心となって活動している15人ほどのメンバー。
遠藤さんと佐藤さんは、定年を期に、3年ほど前からガイドを始めた。2人とも昔から山に登ることが好きだったが、頂上を目指して足早に歩いていたため、植物をゆっくりと見ることがなかった。ガイドを始めてからは、花の名前を勉強したり、登る途中に、立ち止まって実際に眺めたりするようになり、だんだんと花に詳しくなっていった。
それでも、自分たちの知らない種類がたくさんある。さまざまな図鑑を買ったが、持ち歩くのに便利なサイズは、掲載されている花の種類が少なかったり、上級者向きでポピュラーな花が載っていなかったりと、思い通りの本が見つからない。
そこで、手軽なサイズで、ポピュラーな花が載っている本をと考え、八王子市の補助金も受けつつ、自費で作り始めた。本にはタカオスミレやセッコク、キジョランなど山で歩いていて見かける花を約420種取り上げた。3年間に撮りためた写真があったが、葉や茎などの特徴が写っていないものもあり、山へ行って撮り直すこともしばしばだった。パソコンを使って、自分たちで写真の加工やレイアウトをして、さがし隊の仲間で名前や文章の間違いを何度もチェックしてきた。
本のポイントは、季節、月ごと、花の色から探せることだ。写真は見やすいようにサイズをそろえ、ポピュラーな品種には丸印、小さくて気づきにくい種類には小型と書くなど、工夫も加えた。また、高尾山は外国人の登山客も増えていることを考え、英語で学名を掲載している。
「ポケットに入るサイズなので、花を見ながらハイキングをするのに最適。名前を調べたり、覚えたりして楽しんでもらえれば」と遠藤さん。

(2009年10月29日付アサヒタウンズより抜粋)

高尾山で花名探そう
市民グループメンバー ガイドブックを出版

高尾山の花を撮影している市民グループ「高尾山の花名(はなな)さがし隊」メンバー、遠藤進さん(68)と佐藤美知男さん(65)が、これまで撮影した花を紹介するガイドブック「高尾山の花名さがし」を出版した。
遠藤さんと佐藤さんは、同市観光協会の委嘱を受けて高尾山の観光ガイドを務めた縁で、三年前に「花名さがし隊」を結成。メンバーは今では、林野庁の森林パトロール隊員やインターネットを通じて知り合った愛好家など計十五人になり、高尾山に咲く花の情報を交換しあっている。
高尾山は温帯系、暖帯系の植物約千五百種の植物が生育している植物の宝庫。二人は、登山客に高尾山の花の魅力を知ってもらうため、これまで撮影してきた写真をガイドブックにしようと計画。一年がかりの作業を経て三日に出版された。
掲載されている写真は、イロハモミジやキジョラン、タカオスミレなど約四百二十種。季節ごとに色分けしているほか、花の色ごとに分類したり、比較的見つけやすい花には「○」、見つけづらい花には「□」のマークを付けてある。
遠藤さんと佐藤さんは「学術書のように難しくはなく、ハイキングをしながら花の名前を知る参考にしてもらいたい」と話している。本は新書判で六十四ページ。ポケットに入り、手軽に持ち運べるサイズとした。

(2009年11月6日付東京新聞より抜粋)

小図鑑「高尾山の花名さがし」出版される

紅葉シーズンを迎えた高尾山。仰ぎ見る紅葉もきれいですが、足元に目を向けると数多くの花に出会えるかもしれません。
高尾山の花好きの仲間が集まって企画・制作したポケット小図鑑「高尾山の花名さがし」が出版されました。
著者は遠藤進さんと佐藤美知男さん。ハイキングしながら花の名前を調べられるよう、3年掛かりで撮り続けた約420種の写真を中心に、一文でまとめた花の特徴、花をイメージしやすい漢字名、外国の人を案内するときにも役立つ学名とともにまとめたもの。コンパクトなポケットサイズで、携帯に便利です。市内書店などで販売。平成21年度八王子市市民企画事業補助金交付の対象事業です。遠藤さんは「ハイキングをしながら花名を調べたり、教え合いながら高尾山の自然を楽しむのに利用していただければと思います」と話しています。

(2009年11月6日付ショッパーより抜粋)

横沢入の歴史遺産を歩く
―伊奈石の石切場と石仏

横沢入の歴史遺産を歩く

西多摩、あきる野市にある横沢入は東京都最初の里山保全地域。中央の谷戸には田んぼが広がり、支谷には清冽な湧水が流れ、オオタカ・トウキョウサンショウウオ・ホトケドジョウ・オオムラサキ・ホタルなどの稀少な生物が生息しています。
また、横沢入にある「伊奈石」を切り出した石切場跡には、石工たちの作業場や、作りかけの石臼・石塔、石片が積もったズリ場、採石坑跡、石切道が広がり、まるで江戸時代にタイムスリップしたようです。
緑豊かな横沢入の歴史遺産と石切場遺跡の魅力を余すところなく伝える格好のガイドブック。多摩の路傍に所在する伊奈石製の石仏を多数紹介し、石仏の見方もわかる石仏入門書。本書を持って、さあ横沢入へ!

伊奈石の会 編
A5判64ページ
付・横沢入案内地図
定価650円+税

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市民の写真集 八王子の今昔
昭和の八王子を振り返る

市民の写真集 八王子の今昔

温故“写”新!
昭和の八王子があざやかによみがえる!

失われたものを顕彰し、今あるものを大切にする今昔写真集。懐かしい八王子、見たことのない八王子、いろいろな八王子に出会えます。撮影地マップ・昭和の八王子年表付です。

ここに収録された昭和の風景をみると、暮らしの中に、まだ清らかな広い空と土と水があったことを思い出させてくれる。元々私的な写真も、時代の瞬間と限られた空間を切り取って、昭和の八王子の姿を描き出してくれる。(市史編さん室室長・佐藤広氏序文より)

戦前・戦後の激動期を経て、八王子は大きな変貌を遂げました。その間に昔ながらの景色や風習は次々と姿を消していきました。どうしたらそれらを次代へ継承していくことができるのでしょう。また、すでに消えてしまった風景や習俗もあります。それらをどうすれば掘り起こすことができるのでしょうか。
「失われたものを顕彰し、今あるものを大切にする」。そのために、当社では市民の皆さんから古い写真を募集して現在と比較する写真集『市民の写真集 八王子の今昔』を、八王子市職員等事業本部と協力して企画しました。あの日の祭り、あの日の町角、あの日の子どもたち……。市民の貴重な写真よって甦る過去から、未来を生きる我々が学ぶべきものが見えてくることでしょう。押入れの奥の色褪せた写真が貴重な時代の証言となります。これを機に八王子の伝統や文化が見直され、再興されればと願っています。

「市民の写真集 八王子の今昔」刊行会 編
A4判 128ページ(+口絵4ページ)
定価1,500円+税

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新聞各紙で紹介されました

市民が撮った八王子の今昔 応募の114点掲載し写真集発行

八王子市民らが撮影した昭和の街並みの写真を集めた『市民の写真集 八王子の今昔』が発行された。地元の出版社「揺籃社」と、市職員らでつくる「市職員等事業本部」(本部長=藤岡一昭・市職員組合委員長)が協力して制作。市民48人の114点を載せた。揺籃社の清水英雄社長は「昔の様子を知ることで、街づくりに生かせれば」と話している。
清水さんが2年前、「市民でつくる街の写真集を」と企画。同事業本部の協力で市民から写真を募ったところ、約60人から計2千点の応募があった。両者の編集会議で写真を選んだ。それぞれの写真には同じ場所で今年撮った写真を添え、街並みの変化が一目で分かるようにした。撮影者のコメントを基にしたミニ解説も入れ、地図には撮影場所を記した。
写っている建物で現在も残っているのは数ヶ所しかない。最も多く取り上げたのはJR八王子駅と周辺の11点。駅ビルは無く、空が広く見える。多摩ニュータウンやめじろ台、みなみ野など市内の代表的な住宅地は、つい数十年前は森林や田畑が広がっていたことが分かる。
出版にあたり11月22日、同事業本部の文化祭で記念イベントを開催。写真を寄せた人たちも参加し、昔の八王子について話に花を咲かせた。「私的な写真をまとめることで、大きな一つの記録となった」と清水さん。「街の変化が激しいことに改めて驚いた。惜しくも採録できなかった写真を別の写真集にまとめられたら」と話している。

(2008年12月3日朝日新聞多摩版より抜粋)

八王子の変遷一目で 「今昔」比べる写真集発行

昭和時代から今日に至る八王子市の街並みの変遷を振り返る写真集『八王子の今昔』(揺籃社刊)が発行された。写真はすべて市民から提供された未発表のもので、114点を掲載。その写真と対比して、同じ場所で撮影した現在の姿の写真が添えられている。
写真集は揺籃社の清水英雄社長が「八王子市内各地の今と昔の写真を対比したら面白いのでは」と発案し、同市職員やOBで組織する市職員等事業本部の協力を得て編集した。
同社で市民に写真の提供を呼びかけたところ、約60人から2000点余りの応募があった。掲載した写真は、撮影された場所や時代を考慮して選び、市職員らが現在の同じ場所でカメラのシャッターを切った。また写真には撮影者や提供者のコメントも載っている。
ほとんどは昭和30~50年代に撮影されたもので、中には大正14年に撮影された木造平屋建ての旧八王子駅舎や、オーストリア領事の公用車が砂利道の甲州街道を走る光景など、今では想像もつかないような場面もある。
清水社長は「どれも貴重な写真ばかり。街が大きく様変わりしているのが一目でわかる。多くの市民に見て、楽しんでもらいたい」と話している。

(2008年11月27日読売新聞多摩版より抜粋)

昭和の八王子、写真集に―企画の出版社、市民から募る

みんなで八王子の今昔写真集をつくろう―。八王子市の出版社「揺籃社」が、昭和の時代(1926~89年)に八王子の街並みを撮った写真を市民らから募っている。市職員らでつくる「市職員等事業本部」(会員約5千人)も協力し、今秋に出版予定の写真集に載せる。現在の写真も並べて比較する趣向で、同社社長の清水英雄さんは「街を見つめ直すきっかけになり、さらに八王子を愛してもらえれば」と話している。

(2008年5月13日付朝日新聞多摩版より抜粋)

昭和の八王子、写真募集―今の街と比較、写真集出版へ

八王子市追分町の出版社「揺籃社」と、「市職員等事業本部」が、昭和の八王子と現在の八王子を比較する「市民の写真集 八王子の今昔」の出版を企画している。発行は11月の予定。
揺籃社は、市内でフリーペーパー「はちとぴ」を製作するなど、地元に密着して出版などを手掛けている。清水英雄社長が「今と昔の街の様子を対比したら面白いのでは」と発案し、市職員らの福利厚生事業を行っている同本部が協力することになった。

(2008年4月16日付読売新聞多摩版より抜粋)

写真展を開催しました

八人の王子さま
八王子地名ものがたり

八人の王子さま

「八王子」から生まれた楽しい童話

地名「八王子」にまつわる伝説をもとにかわいらしい童話が誕生。
フルカラー、総ルビ、読んで楽しく、見て面白い創作童話です。
きっと八王子が身近に感じられるはず。

文 くだら・やすし
絵 長谷川 道子
A4判 32ページ
定価860円+税

新聞各紙で紹介されました

「八王子の由来」童話に―古文書調べ二人三脚

八王子在住の劇作家、くだらやすし(本名・阿部昭三)さん(79)が、市の地名伝説をもとに初めての童話「八人の王子さま 八王子地名ものがたり」を出版(揺籃社発行)した。8人の王子が八つの災難をそれぞれ克服していく物語だ。絵を担当したのも地元出身の長谷川道子さん(67)。「2人で八王子の民話を掘り起こし、活字と絵で残していきたい」。今回の作品は、二人三脚で進める地元童話作りの第一歩と位置づけている。
くだらさんは、八王子で生まれ育った。短編「どん機屋」をはじめ、戦争をテーマにした「風磔」などの自伝小説のほか、13点の戯曲を収めた「阿部昭三戯曲全集」を発表。八王子市民劇場「夢座」の主宰も努める。
小学校のころから、「八王子」の地名が気になっていた。変わった地名なのに、ほとんどの人が由来を知らない。それなら、ルーツをひもとく夢のある八王子物語を書いてみたいと、三年ほど前から一人で温めていた。
今年六月、知り合いの郷土史家から市内の宗関寺に八王子の伝説のルーツを記録した古文書が残されていることを知った。八王子の由来の一つとなる伝説の8人の王子の名前も分かり、これをもとに物語を一気に書き上げたという。共通の知人の紹介で、俳句や短歌、詩などの挿絵を描いていた長谷川さんを知り、童話に絵をつけてもらった。長谷川さんは「物語を読んだたけで頭に絵がどんどん浮かび、楽しく描けた」と話す。童話には表紙も含め18枚の絵が使われ、活躍する八人の王子の姿が生き生きと描かれている。
物語は、川のはんらんを遊水池で防ぐ第一王子「有意」から始まり、疫病を退治する第二王子「善意」、家畜へのいたわりが大切なことを実体験を通じて教える第三王子「無量意」など八人の王子が順番に登場する。牧歌的で夢のある絵とともに、教訓的なストーリーはサン・テグジュペリの「星の王子さま」をほうふつさせる。子供だけではなく、大人も読める童話。
くだらさんは「八王子は民話の宝庫。今回の作品をきっかけに、長谷川さんと二人で少しずつ童話として発表していきたい」と話す。

(2008年10月18日付朝日新聞多摩版より)

八人の王子、創作童話に―市名の由来楽しく

八王子南新町の劇作家阿部昭三(ペンネーム・くだらやすし)さん(79)が、同市の名前の由来を記した創作童話「八人の王子さま 八王子地名ものがたり」(揺籃社刊)を出版した。阿部さんは「八王子の地名の由来はあまり知られていない。この本を通じて、子どもたちが郷土への愛着を感じてもらえればうれしい」と話している。

(2008年10月18日付読売新聞多摩版より抜粋)

童話で知るルーツ

童話では、村人に多くの災難が押し寄せ、牛頭(ごず)天王が8人の王子を村に派遣して、川のはんらん、疫病、村人のいさかいなど、難題を解決していく。その後、八王子城の城主になった北条氏照が8人の王子の話を聞き、城に八王子権現を祭って、現在の地名に受け継がれているというストーリー。

(2008年10月29日付アサヒタウンズより抜粋)

ひとびとの声が聞こえる 日本自費出版文化賞10年のあゆみ

ひとびとの声が聞こえる

自費出版の原点が見えてくる

日本自費出版文化賞」10年の足跡をたどり、最終選考委員の講評、受賞者の著書への思い、講演・座談会などを通し自費出版の原点を見つめなおす

98年に創設された「日本自費出版文化賞」は、07年で第10回目を迎えました。記念すべき表彰式は07年7月21日に京都「弥生会館」で行いました。
本著には、そのときの色川大吉選考委員長の記念講演と、NPO法人日本自費出版ネットワーク代表理事中山千夏さんとの対談、鎌田慧選考委員のインタビューをはじめ、選考にたずさわってこられた方々の文化賞に対する考えを収録。毎年発行しています『自費出版年鑑』からは、選考委員の講評や受賞者の声を転載するなど、多くの人々の自費出版への思いをたっぷり伝えると同時に、自費出版界のこの10年の変遷も理解できるように多彩な編集をしています。
本著によって自費出版の原点が見直され、今まで以上に自費出版文化が発展すればと念じています。自費出版という草の根の文化を、このような形でまとめ上げた著作はかつてなく、この国の出版文化に資すること大と考えます。

NPO法人日本自費出版ネットワーク編
A5判250ページ
定価2,000円+税

よみがえる滝山城

よみがえる滝山城

―戦国の風雲をかけぬけた天下の名城―

八王子の加住丘陵にひっそりとたたずむ戦国の城、滝山城。今も当時の貴重な遺構を数多く残す名城です。滝山城が天下に名を轟かせたのは群雄割拠の戦国時代。このころ、本書に登場する、北条氏照、武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった名のある武将や、太田道灌、長尾景春、古河公方などの歴史の影の立役者たちが覇権をめぐって争いを繰り広げていました。その中にあって滝山城は、かの武田信玄をもってしても落とすことができない堅牢強固な山城となりました。本書では、滝山城と周辺の根古屋城・高月城を中心にして、戦乱の世に関東地方で活躍した武将たちの勇姿、戦時の農民や山伏の役割、北条氏が施した巧みな築城術などを余すところなく紹介。巻末の城攻めコース案内では、実際に城に攻め寄せる兵士になった気持ちで歩けるよう工夫してあります。折り込み地図と明快な図版が嬉しい、中高生の副読本としても最適な充実の一冊。城郭ファンに限らず、誰もが戦国時代の息吹を肌で感じられることでしょう。

「序」(峰岸純夫氏)より抜粋

八王子市域には、八王子城と滝山城という二つの名城があり、ともに重要な文化遺産として国指定史跡となっている。両城とも関東の雄、北条氏照の居城として関東の戦国史を考える上で重要な位置を占める。ところが、この北条氏照の支配は武蔵国の守護代家大石定久の養子となって大石氏の遺産を継承したことによるものである。実情は、北条氏康は武蔵を支配していた関東管領上杉憲政の勢力を軍事的に駆逐し、上杉氏守護代の大石氏を服従させて事実上その権力を奪い、氏康の子氏照を大石氏の養子に入れて北条―大石氏のつながりで武蔵守護代家の継承という形式をとって、北条氏の武蔵支配の正当性を確立させたのである。要するに支配権力の乗っ取りを、その継続性を示すことでその後の大石氏家臣の叛乱を抑止し支配の安定化を図ったといえよう。(以下略)

本文見本

「あとがき」より抜粋

「滝山城跡群・自然と歴史を守る会」は、過去2年間、郷土に残る歴史的文化遺産である滝山城跡や高月城跡、根小屋城跡についての知識や情報を深めていくために、学習会や見学会、さらにシンポジウムなどを行ってきました。
これまで、加住地域には国指定史跡としての滝山城跡がありながら、地元ではその中世城郭としての価値と遺構の素晴らしさについてはほとんど情報を得ていませんでした。そのために、この貴重な歴史的文化遺産も、郷土の小学校、中学生などの青少年たちに学習教材として還元していくことにあまり積極的ではありませんでした。私たちは、青少年たちの郷土学習として役立てることは、価値ある文化遺産を後世へと伝えていくために欠くことのできない条件だと考えています。
さらに、こうした貴重な文化遺産は、郷土に住む私たち一人ひとりが共有していくべき知的財産であるにとどまらず、他の地域へ発信していくことも地元に住む私たちの責務だと考えています。

そのために、まず「小宮公園サービスセンター」の協力者という立場をベースにして、より安全で見学しやすい史跡公園にしていくため、堀や谷間に無造作に放棄されている粗大ゴミの回収や、下草刈りなどを行って、中世城郭としての景観作りに努めてきました。
私たちの会は、価値ある知的財産を保護し、さらに適切に活用していくために、皆様のより一層のご理解とご支援を得ながら、今後も様々な活動に従事していきたいと考えております。

2007年10月 滝山城跡群・自然と歴史を守る会

中田正光著
滝山城跡群・自然と歴史を守る会編
700円+税 揺籃社刊
A5判 80ページ

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朝日新聞(2007年11月30日付け朝刊)にて紹介されました

滝山城の秘密いっぱい 戦国時代、八王子の北条氏居城 市民団体2年かけ本に

八王子市の国指定史跡「滝山城跡」を題材に、戦国時代を活写した歴史読本「よみがえる滝山城」が出版された。滝山城を、構造や周りの地形など様々な角度から紹介している。発行した市民団体は「副読本として郷土学習にも活用してほしい」と話す。12月2日には同市滝山2丁目の東京純心女子大学江角記念講堂で、出版記念のシンポジウムを開く。

滝山城は戦国時代の武将・北条氏照の居城として特に知られ、武田信玄の軍勢が手前まで攻め入った。しかし、同市内にある同じく北条氏の居城だった国指定史跡「八王子城跡」ほどには、注目されてこなかったという。
今回、その滝山城に焦点を当てたのは、地元の歴史愛好家ら約30人でつくる「滝山城跡群・自然と歴史を守る会」。約2年間にわたり、史料を集めたり学習会を開いたりしてきた。原稿は同会の指導役、城郭研究家中田正光さん(61)が執筆した。
北条氏のほか上杉氏、大石氏など関東の武将の活躍も紹介。滝山城など加住丘陵にあった滝山3城の特色を説明している。末尾には「城攻め」の9コース案内と説明を付け、本を片手にコースをたどれば、城に攻め入る兵の気分で城跡歩きを楽しめる。
図をふんだんに使っており、同会会長の西山富保(72)は「誰が読んでもわかりやすいように努めた。地域振興に役立てば」と話している。
A5判、80ページで700円(税別)。(以下略)

滝山城跡ハイキングマップ

滝山城跡ハイキングマップもあわせて販売中。
100円です。

戦後60年 語り継ぎたいあの大戦

戦後60年 語り継ぎたいあの大戦

「二度と繰り返さない」という強い思いを込めて

体験別目次
昨日のことのように ―序にかえて―(坂本龍彦)

―戦時下の生活・疎開―
救いの神はB29(奥住喜重) 生き残った者の使命(渋谷廣子)
山桜の詩(鈴木満勢子) 榛名航空という会社があった(須藤元夫)
忘れてはいけない(瀬沼ユキ子) 隠されていた戦時下の大地震(高橋 賢)
少国民だった頃(寺尾 恭子) 戦後六十年 戦争を語る(楢本達朗)
平和よ いつまでも続いて(羽田廣子) 私の戦争体験(堀池一郎)
太平洋戦争と私(堀池和子) “花の京都はあとまわし”(松本 梓)
脱兎の如く(森田 勇)

戦後60年 語り継ぎたいあの大戦

―軍隊・戦地―
ああ、初年兵二回で終戦(上田 演) 回想 終戦前後の世相(小川良一)
軍国日本の敗北・三ヶ月の回想記(香川 節) 假標藁人形(鹿島昭二)
私の軍隊体験(清水源一郎) 敗戦後の近衛兵……アチエ暴動と独立戦記(塚本昌芳)
私のシベリア抑留記(中村輝信) 私の戦中・戦後(松本鶴雄)
あの日、あの頃(松本照繁) さらば、トラック島(矢崎武雄)

―空襲―
空襲を逃れて(市田孝徳) 五歳の記憶(吉野さと)
<東京大空襲>
二時間で十万人はどう殺されたか(鵜沢竹司) 渦まく炎をくぐりぬけ生きのこったこと(片山ハル)
私のいちばん長い夜(庄司愛子)
<八王子空襲>
みかん箱の棺(岡部うた子) 八王子空襲(上保光江)
私の記録より(瀬沼和重) 語りつがれる八王子の戦災(たけの・こうき)
お話「紙ひこうき」(長谷川道子) 炎・八月Ⅱ 樹(守屋 健)

―敗戦―
世にも不思議な物語(浅岡 宏) 終戦前後の頃の思い出(浅川暁彦)
二十年八月の記録・抄(田中祐司) 昭和二十年八月十五日正午(滑川明彦)

―外地の生活・引揚げ―
表現活動と幼少体験(工藤孝生) 落日(中山正江)
中国民衆の貧しい生活(藤原きよじ) 戦後のハルビンで(山田靖男)
台湾での窮乏生活(山本一子)

「昨日のことのように ―序にかえて― 坂本龍彦」より抜粋

始めに
六十年を経ても昨日のことのように思い出される事実がある。心に刻まれた戦争と敗戦の歴史は、忘れえない記憶として今なお鮮明である。
寄せられた四十数編のこの体験記を一読させて貰う時、人は我が身にもうずく戦争の爪跡を感じて一喜一憂するであろう。
事実をありのままに書き記したこの体験記は、真実の強さで人を打つ。
弾丸除けの千人針を頼みゆく白き霜夜の月影の道(昭和十二年)
火の海は局舎取巻き乙女らはカラカラの咽喉に腹這ひて床の水吸ふ(八王子電話局消失 昭和二十年)
からは、戦争の歳月が迫ってくる。瀬沼ユキ子さんの短歌は巧まずして戦争史を描いた。

章子よ―
おまえの父の命日は三月十七日
公報には、硫黄島玉砕の日が記されていた
八十三歳の渋谷廣子さんは東京大空襲の「三月十日の夜の空」を歌う中でこう記された。
その夜―。
二人には入る防空壕がなかった
おまえを しっかりと抱いて
わたしは畠の畔道に立っていた
そして、母はこう繰り返してきたのだ。
あの夜 父は生きていたのだろうか……と。
十万人が生命を失った東京大空襲で、渋谷さんのような思いを噛みしめてきた人たちは少なくなかったに違いない。章子は二歳。夫は鉛筆で描いた章子の似顔絵入りの遺書を残して戦死したという。

「おねえちゃん」
「防火用水槽に人がうずくまっていた。しかし動かない。母と子であった。母と母に抱きかかえられている子がそこにあった」(『渦まく炎をくぐりぬけ生きのこったこと』)と、片山ハルさんは書く。防空壕からはい出した小さな子に「おねえちゃん、おねえちゃん」と呼ばれるが何も出来ない。
空襲のやけどがもとで父は死に、兄弟は戦死する中で行き通して来た。その頃、ビルの屋上で遠くを見ながら泣き続けた、という。

この東京大空襲の夜、産後十日の体で産院にいて、赤児と火の粉の中を逃げまどいながら必死に生き延びた記録を庄司愛子さんは「私のいちばん長い夜」に記した。

焼け出された土地では、猛暑と栄養失調で乳幼児がばたばたと死んでいったと、八王子空襲を体験した岡部うた子さんは書く。「みかん箱の棺」に一歳の幼児は収められた。
「やり場のない怒りを込めて、火葬場へ行く花一本ないみかん箱をじっと見送った」と岡部さんは焦土の八王子を書いている。

空襲があり、強制疎開があった。昭和十九年八月、寺尾恭子さんは松本市近くの浅間温泉郷に学童集団疎開した。
空腹にせきたてられて田んぼをうろつき、落穂を拾って籾がらを剥き中の米粒を噛み砕いた。外出が許可される日曜日には喜々として松本市の薬局に行った。小遣いをさいて「わかもと」を手に入れ、宿舎で噛み砕いている時は飢えを忘れたという。冬は雪をすくい、ふりかけをまぶしてほおばった。
「再び繰り返されないことを祈る」と寺尾さんは記した。

よくも生還できた
兵士としての体験も忘れることはない。
昭和十九年二月、矢崎武雄さんは野戦病院部隊要員として「辰羽丸」で横浜港を出港、トラック島付近で空襲を受けた。やがて機関部が大爆発して轟沈、海へ巻き込まれた。
救命胴衣をつけていて浮上したが、死者、負傷者、船体からの浮遊物が浮かぶ地獄図で、乾パンの木製梱包を捜してつかまった。
海水を浴び陽に焼かれて五時間後、救助の駆逐艦にブイを投げて貰い助け上げられた。惨敗のトラック島で空襲され負傷したが「よくも生還できた」と帰り着くことができた。

近衛師団としてスマトラ島アチエ州で英軍・印度豪州軍と戦った塚本昌芳さんは、「インドネシア独立軍の指揮官としてオランダ軍と戦ってほしい」と強く勧誘された。迷った。
独立軍に加わって奮戦し、隊長となって戦死した近衛部隊の友人を思い出す。

旧制中学五年生だった鹿島昭二さんは、徴兵適齢一年引き下げの決まった一九四三年(昭和十八年)暮に書いた作文が、今も心の中のトゲとしてひっかかっている。
「我々も間もなく戦場に出る。敵陣になぐり込み、白兵戦になった時の度胸を養いたい。教練で藁人形で刺突訓練をしているが、それには藁人形に替る捕虜を立たせたい」と学校で書いたもので翌日の日刊新聞に出た。
むろんそんな度胸があるはずもなかった。軍事教練をした軍曹の教官がいった言葉をそのまま書いてしまったのだった。
六十年を経て鹿島さんは、その文章が明らかに捕虜虐殺・殺人教唆ではないか、と気になり始めた。「国家のため」とか「国を守る」とかいって、一つの方向に持っていこうとする昨今の風潮に「いつか来た道」のおそれを感じざるをえない。

この手榴弾を落とせば―
百万を超す民族の大移動だった引揚げも痛苦に充ちた六十年目の記録となった。
藤原きよじさんは「中国民衆の貧しい生活」で中国山東省斎寧からの「もがき苦しんだ」引揚げ記録を綴っている。
夫のいない官舎に中国兵二十人ほどが押し入り、土足で物資をあさり始めた時、出産したばかりの藤原さんは、自決用の手榴弾を持って押入れの前に立ちはだかった。
カタコトの中国語と手振りで、「この手榴弾を落とせばあなたたちもろとも吹き飛びます」と言った。足ががくがくと震えていた。中国の兵隊が「分かった、分かった」と外に出て行った時、全身の力が抜け、涙だけがとめどなく流れた、という。
帰国船の出る青島まで歩きづめのような苦しい引揚げの旅だった。苦しみに充ちた追憶の中で、「中国人の貧しさ」も焼きついている。「私たち日本人がだるまストーブで暖をとっていたのに、中国人の民家は壁も屋根もコーリャンのカラに泥を塗りつけただけのものだった。家の中はほとんどが土間で、葦のような物を燃やして時間をかけて炊事していた。わずかに寝間だけが床になっていて、アンペラが敷いてあり、炊事の時に出る煙を利用したオンドルになっていた」
引揚げの旅で洗うことのできないおむつを捨てると、我先に拾うような中国民衆の貧しさ、苦しさも胸に食い込んだ。

山田靖男さんは「戦後のハルビンで」で、小学校四年生時代の記憶を書いている。
父が国境守備の関東軍に出かけていた戦後、侵入してきたソ連軍将校は子供たちを一つの部屋に入れて外から鍵をかけた。
眠り込み朝起きた時、ソ連兵は立ち去り、母には泣いたような跡があった。
父は十一月の初め、ソ満国境の野戦病院からこっそり帰って来て満鉄支社で残務整理に当たっていたが、日本人の遺体を処理する穴掘りをさせられたこともある。
昭和二十一年夏の引揚げ直前、母はひそかにお産をした。父が庭に穴を掘り赤ん坊を埋めたという。ソ連兵の暴行によるお産だったと、母は何年もたって漏らした。その母も父も、もうこの世にはいない。

「戦争はいけない」
生命がかかっていたとしかいいようのない戦争の記録である。生と死のあわいをくぐって六十年、よく生きてきたものぞと、思いを新たにせざるをえない。
終戦の年、旧制ハルビン中学の一年生で同中寄宿舎で昭和天皇の終戦放送を聞いた私も、敗戦の嵐に投げ込まれた。
中学校も寄宿舎もソ連軍に接収された。開拓地の国民学校長をしていた父や家族とは連絡がとれない。寄宿舎生はソ連軍による芋掘りに使われた。
九月末、現地民に襲撃された父たち家族がハルビンにたどり着いた。夫を射殺された母子をも抱えて、焼いた粟餅売りに活路を求めた。母、妹が作ったアンコ入りの平べったい餅を大鍋で焼いて路傍で売るのである。
私が焼き手となり、朝から夜まで店を広げた。戦後職を失い、雑役の労務に狩り出されていた日本人があったかい粟餅を買ってくれた。
露天の作業である。ハルビンは九月末になると冷夏十度に下がる。ハルビン中学寄宿舎の二、三年だった中村兄弟が通りがかりに火のそばに立ち寄った。
兄弟の家族はソ満国境の黒河におり、まだ何の音サタもないという。遠い親類に厄介になっているのも心苦しいということで、兄弟は粟餅売りを手伝い、満鉄の空き官舎へ入り込んでいたわが家と同居するようになった。
肩をくっつけ合ってのザコ寝である。十二月に入って兄弟の母親と弟妹がようやくハルビンの収容所にたどり着いた。大豆を入れる麻袋を身にまとった母親の姿が、想像を絶する何千キロかの避難行を語っていた。父は侵入してきたソ連軍との戦いで戦死したという。
収容所は一人当り畳一畳の割当てもなく死のうめきに充ちていた。水のような高粱粥一杯の日本人会給食を私も食べたことがある。
けれど兄弟は「収容所で母たちと住む」と言って譲らなかった。父親の代わりを果そうと思いつめていたのかもしれない。
翌一九四六年一月、中村兄死亡。同年二月、中村弟死亡。中村弟の死の時は、直後に小学生の弟が私に知らせに来たこともあって、私は収容所にかけつけた。夏服の姿のまま、腹をふくらませ、手脚をやせ細らせて死んでいた。長いまつげの瞳は開かなかった。みとる医師とていなかったが栄養失調死の症状だった。遺体は収容所の置き場に運ばれた。
三月。トラック一杯に積んだ遺体を郊外の巨大な墓場に投げ込んだ日を私は忘れない。
トラックを追いかけ、雑木林の木陰から見守ったのだ。ハダカに近い遺体はスコップで投げ下ろされたが、近くからは遠ざけられ中村兄弟を判別することはできなかった。
その光景は私のまぶたを去ることはなく、戦後六十年、ますます鮮明に浮かんでくる。
同居していた二歳の幼女ミッちゃんも、シワだらけになって死んだ。日本人の幼児は死ぬのが当り前の時代だった。
中村兄弟やミッちゃんの前に豊かに広がっていたろう人生を時折思う。その生を戦争は途中で断ち切った。
歴史は、中国の人たちの生命も日中戦争で断ち切られたことを教えてやまない。
「戦争はいけない」と中村兄弟と話し合った夜をいつも思い出している。

二〇〇五年七月(ジャーナリスト)

朝日新聞(2005年8月25日付け朝刊)にて紹介されました

市民が語る戦争体験 合同文集として出版 八王子の揺籃社

八王子の出版社「揺籃社」が「戦後六十年 語り継ぎたいあの大戦」(定価1,500円。税別)を出版した。多摩地区在住の約40人が、東京大空襲や八王子空襲、疎開先での体験などを記した合同文集だ。著者の大半が70代から80代で、戦争体験を市民の言葉でつづった貴重な記録となっている。
同社社長の清水英雄さん(65)は、山梨県の旧高根町(現在の北杜市)の出身。幼少のころ、防空壕を掘るのを手伝った経験がある。1966年ごろ八王子市に移り、69年、同市散田町に印刷会社「清水工房」を設立。81年には出版部門の「揺籃社」を併設させた。
印刷会社設立後、35年が過ぎたのを機に今年2月、JR八王子駅前の学園都市センターで、同社から出した自費出版本約500点を展示した見本市を開いた。自費出版の楽しさなどをPRする一方、戦後60年にあたることから、戦争体験を語ってもらう文集の出版を企画、原稿を募集した。
多くの市民から、命からがら逃げまどった空襲の様子や疎開先での貧困生活など、貴重な体験談が寄せられた。
清水さんは「戦後60年たった今も世の中は平和に向かっているとは考えにくい。今こそ、戦争を体験された方々の生の声に耳を傾けて」と話す。

同社は、20世紀の思い出などを市民に執筆してもらう合同自費出版を企画している。分量は400字詰め原稿用紙10枚前後。1枚につき千円を著者が負担。11月末日締め切り。