【「月刊グラフィックサービス」10月号掲載・我が社の自費出版事情】

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我が社の自費出版事情
第2回:㈱清水工房・揺籃社(東京・八王子) https://www.simizukobo.com/
同社・編集部 山﨑領太郎

コロナ禍における当社の自費出版事業
 2020年9月末日現在、新型コロナウイルスはあらゆる分野に未だに大きな影響を及ぼしています。当社ももちろん例外ではなく、例年受注していたイベント関係の印刷物(チラシ、ポスター、プログラム、チケットなど)は軒並みゼロとなってしまいました。秋になってやや回復の兆しが見られますが、厳しい状況には変わりありません。
 そのような苦境にあって、自費出版事業だけは底堅く推移しています。むしろ、相談数が増えているほどです。例年ですと、大小取り混ぜて、年間で約40冊の本を手掛けますが、現状ですでにこの数に達しつつあり、残り3か月で、もしかしたら50冊の大台に乗るかもしれません。東京の隅っこの八王子の、こんな小さな会社にしてみれば、奇跡のような数字です。
 その背景として、ステイホームを強いられた結果、思いがけず時間ができ、これまで書き溜めた原稿や作りっぱなしになっていた製作物を本にしてまとめておこうと思い立つ方が多くいらっしゃったからのように感じています。また、執筆を始めたけれど、どのように進めたらよいかとか、亡き父の作品をまとめたいから相談に乗ってほしいなどの、本づくりの出発点にある方からの問い合わせも多くなっています。

八王子の町を作った大久保長安
 さて当社では、創業者の清水英雄がその立ち上げに深く関わっていた関係上、日本自費出版文化賞に第1回から応募を続けています。当社発行の書籍は、著者の了解を取ったうえでほとんど全てを応募しています。しかも、手数料は当社持ちで。
 最終選考を勝ち抜いた、いわゆる入賞作品はこれまで9作ありますが、個人的に思い入れの深い本が、村上直先生の『論集 代官頭大久保長安の研究』です。2014年の第17回で研究・評論部門を受賞しました。
 大久保長安(おおくぼながやす)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、主に民政の面で活躍した代官頭です。石見銀山と佐渡金山の生産量を飛躍的に伸ばし、結果として開府したばかりの江戸幕府に財政面での安定をもたらしました。それ以外にも、火事で焼けた府中の大國魂神社の社殿再建、奈良の春日大社の庇護、岐阜の鵜飼や伊豆の三番叟といった文化面の保護、青梅や桐生の町立て(町作り)、重い年貢に苦しむ農民の訴えを聞き入れた減税措置など、全国各地にその足跡を残しています。
 猿楽師の息子として生まれた大久保長安は甲斐の武田信玄に仕えたのち、徳川家康の配下に入ります。そんな長安にとって、ここ八王子は第二の故郷。というのも、1590年(天正18年)に豊臣秀吉によって天下が統一されると、長安は八王子の町を新たに作るよう家康に命じられたからです。
 長安は盆地に町を作るに当たり、まずは暴れ川で氾濫ばかりしていた浅川の流れを大きく変え、両岸に堤(石見土手)や、水が溢れた際の逃げ道として遊水池を多数設けました。これにより町民は安心して暮らせるようになり、町は安定的に発展できたといわれています。昨年の台風19号では、浅川は溢れる寸前で持ちこたえました。これも、400年前の長安による治水工事のお蔭と思われます。
 他にも、商業都市としての空間的配慮、甲州街道や一里塚の整備、高尾山の竹木伐採禁止のお触れ、いざというときに武士として活動できる半農半士の八王子千人同心の組織化、信玄の娘で八王子まで逃れてきた信松尼(松姫さま)の養護など、八王子における事蹟は枚挙にいとまがありません。
 市内にある産千代稲荷神社は、かつて長安が采配を揮った代官屋敷の敷地内にあり、現在も同地に鎮座しています。そこには江戸期から続く井戸が残されていて、実際に長安がそこから水を汲んだかもしれないといわれています。
 これだけの経歴を持ちながら、しかしなぜか巷間にほとんど知られていないのが長安の不思議なところです。諸説ありますが、あまりに切れ者過ぎたためか、あるいは派手好きな面が嫌われたのか、死後、家康によってお家断絶の憂き目に遭ってしまいました。7人の息子たちは全員、切腹させられています。そのためか、特に代官屋敷のあった八王子では口の端に上らせるのも禁忌されるような時代が長く続きました。多くの書物も焼かれたらしく、長安の人となりを伝える史料は大変乏しくなってしまいました。それゆえ、忘れられた存在となってしまったのです。

大久保長安長安を町おこしに活用
 法政大学文学部教授として長く教鞭を執られた村上直(ただし)先生は、日本近世史研究の泰斗です。江戸幕府における代官の役割や幕藩制社会成立と展開についての研究で第一級の仕事を残されました。先生はそれら本業の研究の傍ら、なかなか表に出てこない長安の史料を、現地取材を重ねながら丹念に掘り起こし、ときおり大学の紀要や学会誌に発表されていました。とはいえ、それらがまとめられて1冊になる動きはなく、ほぼ忘れられた論文となっていました。
 それらを見つけ出したのが、長安を通じた町おこしを画策していた歴史好きのおじちゃん、おばちゃんたちでした。2013年が長安の死後、400年に当たることから、事績が残る石見、佐渡、奈良から研究者を招き、ここ八王子で、村上先生を中心としたシンポジウムを開催しようと計画していたのです。私がその会合に呼ばれたのは、たしか2012年5月頃だったと思います。
 集まりで配布された趣意書には、シンポジウムの開催に加え、お祭りの設置と書籍の発行が大目標として掲げられていました。この3本柱のうち、書籍発行の大役が私に任されたのです、初参加のその日に。
 村上先生はご健在ではありましたが、高齢となり、編集や校正作業は無理という状態でした。また、どこに書き散らしたかを覚えているはずもなく、まずは論文を集めるところから始めねばなりません。私はウェブで論考の在り処を調査したのち、国会図書館に都合3回出かけて、せっせとコピーを取りました。確か30本くらいの論考があったと思います。それらから特に重要なものを、村上先生のお弟子さんに選抜していただき、次に会のメンバーが入力作業を行いました。
 組版に着手できたのは2012年の秋もふかまってきたころ。シンポジウムで販売するためには、どうしても4月までに仕上げねばなりません。慣れない古文書の用語と悪戦苦闘しながら、ようよう仕上げたのは、シンポジウム開催の2日前でした。奥付の印刷日がシンポジウムの開催日、発行日は長安の命日という念の入れようでした。

大久保長安の評価を覆す
 仕上がった論集は、これまでほとんど知られずにきた大久保長安の全国での活躍が網羅的に収載された、長安を知る上での基本的資料となりました。面白いのは、史料の掘り起こしによって、歴史的事実が明らかになるだけではなく、その人間性までもが詳らかになっていったところです。長安は確かに、噂通り金使いが荒く、派手好きだったのかもしれません。しかし、本書にあるように、鉱山の開発に取り組む山師たちの待遇改善に一役買ったり、信頼できる奉行には多くの仕事を任せて独り立ちさせたり、町に出ては平民たちとの語らいを忘れないなど、庶民目線の公平な代官という印象が随所に窺えます。
 それは八王子市民にとっても新たな発見として映ったようです。シンポジウムや論集によって、これまで悪代官だと思っていた長安の辣腕ぶりに驚いた市民は多く、見直す動きが出てきました。市も呼応するように郷土資料館で特別展を開催し、また市内の事跡を巡るスタンプラリーも実施しました。いまでは長安=悪代官と思う市民はかなり減りました。
 当初の3本柱の残りの一つ、長安のお祭りも、命日の4月25日近辺の土日に、産千代稲荷神社で続けられています。午前中は長安の御霊を鎮めるお祓いがしめやかに行われ、午後はお囃子や出店が出る賑やかな1日となります。子どもたちもたくさん集まります。
 論集に続き、ブックレット、絵本、小説も当社から出版されています。こうした流れに花を添えてくれたのが、自費出版文化賞の受賞でした。

本によって蘇る
 冒頭で自費出版の相談件数が増えていると書きましたが、それら相談者(ほとんどがご高齢の方)のお話を何度も聞いていると、その背後の共通した感覚がそこはかとなく伝わってきます。それは、わが身にも死が迫っているという微かな焦燥感です。それを明確に口にする方はいらっしゃいませんが、世界での死者数が何十万人に上るというようなニュースを連日耳にしているうちに、ここで何かを残しておかなければならぬと突き動かされている節が、程度の差こそあれ、感じ取れるのです。
 長年、ラジオ番組の司会などで親しまれた永六輔さんは、「人間は2度死ぬ。1度目は肉体の死。2度目は、誰かの思い出の中で生きている私を思ってくれる人が1人もいなくなった時」と、ことあるごとに語っていたそうです。
 しかし、2度目の死を迎えた人が、もし本を著していたとしたらどうでしょう。誰も思ってくれる人がいなくなっても、いつか誰かが本を手に取り、その人を思うようになる可能性はあります。そのとき死者は蘇ります。永さん理論を当てはめれば、本を残した人は死なないわけです。関連文書を焼かれた長安でさえ復活したのですから。多くの人が直感的にそのことに気付き、本を残そうとしているのではないでしょうか。
 コロナによるパンデミックは確かに災厄です。一方で、必ず迎える死について、誰しもが真剣に考え、適切に恐れる機会を提供してくれたともいえます。1日1日をしっかりと生きていく大切さを気づかせてくれたのです。そういう気持ちが高まってくると、何かを残したくなるのは人間の根源的な欲求なのかもしれません。自費出版はその願いに応えられるステキな仕事であり、従事する自分がいかに幸せかを思わずにはいられません。